zakzak

記事詳細

天安門事件30周年…中国共産党が葬り去りたい“黒歴史” 中国覇権の社会に「人権」は存在しない

 中華人民共和国(以下中国)の首都・北京で1989年6月4日に起きた「六四天安門事件」から、間もなく30周年だ。一党独裁の中国共産党が葬り去りたい「黒歴史」だからこそ、私は「歴史戦」の材料として後世に語り継ぎたい。

 民主化を目指して失脚した胡耀邦元総書記が89年4月に死去すると、彼を慕う学生らは各地で追悼集会を始めた。天安門広場には100万人規模が集結する。追悼集会はやがて、民主化を要求するデモ行進やハンストへと発展した。

 趙紫陽総書記(当時)は、ハンストで倒れた学生を病院まで慰問に行くなど、民主化支持派だった。だが、李鵬首相(同)は天安門広場の学生運動を、一党独裁を脅かす「動乱」とみなして戒厳令を発令した。最高権力者のトウ小平は、武力弾圧を決断した。

 6月4日未明、人民解放軍は学生らに無差別発砲を開始。軍用車両でひき殺すなど丸腰の市民を自国の軍隊が虐殺した。

 実は、人民解放軍は、全人口の7%未満に過ぎない中国共産党を守るための「共産党軍」である。「人民弾圧軍」と言われても仕方ない。

 中国政府は事件後、《6月4日の「反革命暴動」を弾圧した。北京では市民200人と治安部隊数十人が死亡した》と発表した。だが、2017年10月に機密解除された英国外交文書で、当時の駐中国英国大使は英国政府に「人民解放軍に殺害された犠牲者は1万人以上」と報告していた。

 以下、英BBC日本語サイトから一部引用する。

 《「1万人」という人数は、当時のアラン・ドナルド駐中国英国大使が1989年6月5日付の極秘公電で英国政府に報告した》《大使は、「中国国務院委員を務める親しい友人から聞いた情報を伝えてきた」人物から入手した数字だと説明している》《学生たちは広場退去まで1時間の猶予を与えられたつもりでいた。しかし、5分後に装甲兵員輸送車(APC)が攻撃を開始した》

 《学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、兵士たちを含めてひき殺されてしまった》《APCは何度も何度も遺体をひき、ブルドーザーが遺体を集めていった》《遺体は焼却され、ホースで排水溝に流されていった》《負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺された》

 中国が世界の覇権を握れば、「自由」「人権」「平等」などの価値観は、人間社会から駆逐される。

 日本にも、中国のために活動する人は多い。彼らが無知や工作員ではなく、金や色仕掛けでハメられた協力者でも、自殺願望者でもないならば、本物の監視や拘束、干渉、拷問を実体験したい「ド変態」としか思えない。

 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。著書に『儒教に支配された中国人・韓国人の悲劇』(講談社+α新書)、『トランプ大統領が嗤う日本人の傾向と対策』(産経新聞出版)、『日本覚醒』(宝島社)など。

関連ニュース

アクセスランキング