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七夕の逢瀬を終えた後の悲しみを詠む

 『万葉集』の時代から、日本人はさまざまな七夕の歌を詠んできました。「天の川いと川波は立たねどもさもらひ難し近きこの瀬を」(天の川は大きな川波は立たないけれど、この近い瀬を渡るのが難しいのです)と詠んだのは、トランプ大統領が宮中晩さん会で名前を挙げた山上憶良でした。「織女(たなばた)し船乗りすらし真澄鏡(まそかがみ)きよき月夜に雲たちわたる」(織女が船に乗ったらしい。曇りなく澄んだ真澄鏡のように清らかな月夜に雲が出てきた)と詠んだのは『万葉集』の撰者、大伴家持です。

 和泉式部は「天の河今宵ながめぬ人ぞなき恋の心を知るも知らぬも」と詠み、戦国武将の伊達政宗にも「七夕の一夜の契り浅からずとりかねしらす暁の空」という歌があります。

 掲出歌は、日本で初めての勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂(へんさん)を紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑に依頼した第60代醍醐天皇の作品です。905(延喜5)年に成立した『古今和歌集』から1439(永享11)年成立の『新続古今和歌集』まで、500年以上にわたって、二十一代集が編まれた勅撰和歌集は、この醍醐天皇の勅諭(ちょくゆ)からスタートしたものでした。

 掲出歌には「八日の朝よませ給うける」という詞書がついています。7月7日の逢瀬を終え、再び離れ離れになる彦星と織姫。醍醐天皇が詠まれたように、悲しみの涙で天の川の水さえ増水していたのかもしれません。古来多くの七夕の歌がある中でも、愛誦性のある一首として知られています。

 天候不順の際には民に寄り添い、税を免じるなどの政策もほどこした醍醐天皇。後の世に「延喜の治」と称され、理想の時代として語り継がれました。

 勅撰和歌集の礎を築いた醍醐天皇に思いを馳せつつ、『万葉集』が出典となった「令和」の時代にも新たな勅撰和歌集をつくる国家プロジェクトがあってもいいのではないでしょうか。やがて和歌が世界遺産となる日も来るでしょう。そんな今、世界を見渡した新時代の勅撰和歌集が誕生することを祈念しております。かつて醍醐天皇も仰いだであろう7月の星空を仰ぎつつ。(歌人、作家・田中章義)

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