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いまから67年前、深さ60~70キロなのに… 震源が深くても大被害を生んだ「吉野地震」

 いまからちょうど67年前の1952年7月18日に起きた吉野地震。特異な地震として知られる。

 それは震源の深さが60~70キロと深いのに、広くて大きな被害を生んだことだ。これ以上深い地震で大きな被害を出したことはない。

 有感地震の範囲は400キロにも達した。震源が深くて有感半径が大きかったので、震源の推定に手間取った。震源は和歌山・日高川上流、あるいは三重・櫛田川中流と推定されていたが、のちに奈良県中部と訂正され、吉野地震と命名された。

 被害は震源地の真上の奈良県だけではなく、京都、大阪、滋賀、兵庫、和歌山、三重、岐阜、愛知、石川の10府県にも及んだ。マグニチュード(M)6・8の地震としては異例なことだ。

 死者9人のうち震源の真上の奈良県で3人のほか、大阪府で2人、京都府、兵庫県、滋賀県、三重県で各1人が犠牲になった。家も広範囲で壊れたほか、田畑、道路、鉄道、橋梁、電柱や電線の損害も多かった。

 吉野地震では石灯籠が奈良県で728基も倒れた。うち9割もが奈良市にある春日大社のもので、大社の石灯籠の3分の1以上が倒れてしまった。倒れた石灯籠の下敷きになって死者も出た。

 地震計がなかったり、あるいは十分に展開していなかった時代、神社の石灯籠が何基倒れたという記録が地震の揺れの激しさを推測する指針にされてきた。

 石灯籠は石を積み上げただけなので地震で倒れやすい。墓石も揺れの指針にされるが、石灯籠は四角い墓石と違って、どちらから地震波が来ても倒れるので目安としては利点がある。吉野地震では南西側に倒れたものが圧倒的に多かった。だが、この数と揺れの強さに「待った」がかかった。

 それは6年前の46年に起きて甚大な被害を生んだ南海地震のせいで倒壊した石灯籠の仮復旧しか終わっていなかったので、まだ不安定な状態だったからだ。南海地震はM8。1300人以上の死者を生んだ大地震で、恐れられている南海トラフ地震の先祖のひとつである。

 また石灯籠の間隔が狭くて密集していたので将棋倒しのように倒れたから、震動の目安にはなりにくかった。

 余震の数は震源が深くなるほど少ない。この吉野地震も4回だけだった。最大の余震はM4・1で、本震よりもはるかに小さな地震だった。

 日本列島の地下深くには2つのプレートが通っている。太平洋プレートは日本海溝から潜り込んで、列島の下を通りぬけ、日本海を斜めに横断して深さ700キロのロシア東部にまで達している。

 他方、西日本の地下に潜り込んでいるフィリピン海プレートは140キロの深さまで達している。

 これらのプレートは深いところで地震を起こすこともあるが、地表から遠いので被害を起こすことはめったにない。

 この吉野地震は地下深くを通っているフィリピン海プレートが起こしたものだが、なぜこの地震がここで起きたのかはいまだにナゾだ。

 日本直下でこのように深いところで大きな被害地震が起きたことは珍しいのである。

 ■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『多発する人造地震-人間が引き起こす地震』(花伝社)。

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