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思い出の白樺とヴァディムの死

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆様!

 先週、故郷の町にいる母が狼狽した声で電話をかけてきました。

 その内容とは、湖のほとりに建つ私の実家のそばに生えている美しい白樺の一群が、新しいカフェを建設するための邪魔になり、切り倒され始めたと云う事でした。

 母を含む実家周辺の住民たちは慌てて役所に抗議しに行きましたが、行政の答えは“建築許可は出ているので予定通り着工する”だったそうです。

 その報告を聞いて、私はショックを受けました。なぜなら、切り倒された白樺の木の一本には沢山の思い出が詰まっていたからです。

 それはまだ私が5歳ぐらいのころでした。

 “外に見える美しい木は何と言う名前?”と母に尋ねると、彼女はこう答えました。

 “木の名前は白樺だけど、右端の木だけを今日からジュリアと呼びましょう。あなたに似て小さい木だからこれから一緒に大きくなっていくわね”

 それ以来、高校を卒業するまで、私は窓から自分の名前がつけられた白樺を見ては時々話しかけ、夢や希望を共有してきました。

 そのような思い出深い木と実家の窓から見える美しい景色が変わってしまうことに落胆しながら、私は故郷の町で今も多くの人々の記憶に残る、ある人物を思い出していました。

 それは父の友人であり、当時の副町長だったヴァディムのことです。

 ヴァディムは常に礼儀正しく、町の誰とでも気さくに話をし、決して威張ったりしませんでした。その上、彼は愛妻家で汚職とは無縁の清廉潔白な人物でした。

 彼は人口4万の我が故郷の町の改革に挑み、冬場の校庭をならすための雪上車を学校の為に調達したり、雪の降る夜は真っ暗になってしまう通学路の左右数十メートルおきにランタンを設置するなど、新しいアイデアを次々と実行して地域の住民に感謝されていました。

 その後、彼はさらなる改革の為に、長い間手入れがされていなかった町のメインパークの再建を手掛けはじめました。

 しかし、私がエカテリンブルグの大学に入学して故郷の町を去った同じころ、ヴァディムは改革の道半ばにして、自動車事故で帰らぬ人となりました。

 まだ35歳の早すぎる死でした…。

 もしも、ヴァディムのような人が今も行政にいたら、白樺が生き、自然が守られたでしょう。

 そして現在、希望のシンボルのように燃え続ける唯一のランタンを除いて、すべてのランタンを飲み込んだ闇だけがそこにあります…。

 ■ジュリア・ミント 1994年ロシア連邦バシコルトスタン共和国生まれ。エカテリンブルクの医科大を経て、現在は大学院で眼科学を専攻する傍ら、日本人コンポーザーTAMAKIと共にノーザンスタイル・ダンスミュージック・ユニット“Crystal Mint”を結成。シンガーとして、主にヨーロッパで活動中。特技は英語、腕立て伏せ。

Instagram : https://www.instagram.com/crystalmintmusic/

Website : https://crystalmint.info/

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