【プーチンの国より愛を込めて】どんな時代でも前を向いて生きる - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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どんな時代でも前を向いて生きる

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆さま!

 今回は90年代のウラル地方と私の幼少期のお話の続きです。

 私の町でも多くのティーンエージャーが麻薬中毒に苦しんでいましたが、麻薬の蔓延(まんえん)は当時のロシアのあちこちで問題になっていました。

 私が6歳の時、13歳年上の長姉が19歳で地元の幼なじみの軍人と結婚して新郎が駐屯するグルジア(現ジョージア)のロシア軍基地へと旅立って行きました。その時のことは昨日のように覚えています。

 こちらでは結婚式の前に、ウエディング用にデコレートされた車を連ねて近所を回るお披露目があります。当時私たちが住んでいた5階建てL字型のアパートメントの中にすっぽり入るような大きな庭に花婿が花嫁姿の姉を連れてやってきたときには、全ての住民が窓を開けて彼らの門出を祝福しました。

 その後は私たち子供が花嫁のそばに群がると、花嫁が子供たちに向かって大量のキャンディーを投げる一連の儀式へと続くのです。

 とにかく、みんな結婚式が大好きでした。町の人々は90年代の困難な時代の中にあっても、そのようにしてたくさんの結婚式を見送ってきました。

 でも、こうした祝いの場には必ず酔っ払いがいて、いつかなど興奮して3階から飛び降りた人を見たこともありました。幸運にも彼はいくつかの骨折ですみましたが…。

 他にも飲酒してはけんかして警察沙汰になっていた若い夫婦の奥さんの方もカッとなるとよく2階から飛び降りていたのを覚えてますが、彼女はなぜかいつも無傷でした(笑)。

 酔っ払いといえば、外国の方はいわゆるウオッカを浴びるように飲むロシア人を想像されるようですが、確かに私が子供の頃は昼間でも外で時々そのような人々を見かけた記憶があります。90年代当時はソ連が崩壊して職を失った人や希望をなくした人々が大勢いたのです。

 そんな時代に翻弄されながらも、父と母は自営業として懸命に働き、娘3人を何不自由なく育ててくれました。ちなみに、現在60代前半の両親ですが孫たちのためにまだ頑張って働き続けています。

 そして、90年代「ロシアのギャングの都」と呼ばれていたウラルの首都エカテリンブルクの街の雰囲気も、前回のロシアW杯開催都市に選ばれるほどに様変わりし、現在街を管轄しているのは、もちろん市政です!

 近年、故郷の町に帰るたびに90年代を共に過ごした人々が町を去っていることに気づきます。

 少し寂しい気持ちもしますが、私たちはどんな時代にあっても前を向いて生きていくだけです。

 ■ジュリア・ミント 1994年ロシア連邦バシコルトスタン共和国生まれ。エカテリンブルクの医科大を経て、現在は大学院で眼科学を専攻する傍ら、日本人コンポーザー・トモキヒラタと共にノーザンスタイル・ダンスミュージック・ユニット“Crystal Mint”を結成。シンガーとして、主にヨーロッパで活動中。特技は英語、腕立て伏せ。(crystalmint.info)

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