【東京五輪と自衛隊】パラ五輪と軍の深い関係 「負傷後も国のため」元自衛官選手が第一人者 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【東京五輪と自衛隊】パラ五輪と軍の深い関係 「負傷後も国のため」元自衛官選手が第一人者

 東京五輪が閉会(8月8日)すると、続いて東京パラリンピックが開催される(8月24日~9月5日)。自衛隊による支援は規模が縮小されるが、ここでも引き続き行われる。日本ではあまり知られていないかもしれないが、本来は「パラリンピックと軍との関係」は密接だ。

 パラリンピックは第二次世界大戦の負傷兵が治療をしていた英ロンドン郊外のストーク・マンデビル病院で、1948年に行われたアーチェリー大会が始まりだった。当時、負傷兵の中でも脊髄を損傷した兵士は医者からもサジを投げられることが多く、生涯寝たきりで暮らさねばならなかった。生きる気力を失う人も後を絶たないなか、スポーツに取り組むことで兵士たちは希望を取り戻していったという。

 現在も世界のパラリンピックの選手には、多くの軍出身者がいる。特に、米国ではイラクやアフガニスタンで負傷した人たちへの支援の一環として、選手の育成を積極的に行っている。退役軍人の社会復帰や医療費の削減にもつながる取り組みだ。充実したトレーニング環境が提供され、「障害を負ってもなお、スポーツの分野で国のために戦う」という意識も涵養(かんよう=自然に養成すること)される。

 かつて、わが国でも軍とパラリンピックの関係が深い時代があった。

 日露戦争後、傷病兵を受け入れるための施設「廃兵院」が東京につくられた。そこが、「傷兵院」と改称されて1936(昭和11)年に箱根に移転した。日中戦争が始まると、さらに脊髄損傷の将兵を受け入れる「傷痍軍人箱根療養所」が併設された。

 戦争が終わり東京五輪の開催が正式に決定されると、脊髄損傷者や下半身麻痺者の選手を選ぶ必要が生じ、箱根療養所から日本代表選手53人のうち19人もの戦傷病者が集められた。

 「そんなことが可能なのか!?」

 戸惑いはあった。何しろ選手といってもほとんどが未経験者だし、この時点で開催まで1年を切っていた。しかし、彼らは懸命に練習に打ち込み、結局、銀メダル4つ、銅メダル3つを獲得したほか、多くの選手が上位に入賞したのだ。

 時代は移り、元自衛官選手の活躍もあった。

 73(同48)年、陸上自衛隊で作業中に大ケガを負い、下半身不随となった山本行文さんは「車いすマラソン」で日本の第一人者となり、パラリンピックに出場している。

 現在の日本では、傷痍軍人がパラリンピックに出ることはない。だが、遠くない過去に戦争で苦労した人たちがメダルを獲得してくれたこと、また、自衛官にも任務で負傷し生涯ケガを背負わねばならない人たちがいることを、これを機に、思い出してもらえたらありがたい。 =おわり

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 防衛問題研究家 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に『日本に自衛隊がいてよかった』(産経新聞出版)、『自衛隊の経済学』(イースト新書)、『自衛官が語る災害派遣の記録』(並木書房)など。

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