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【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】ペラが仕上がらずスランプに… GP初挑戦はほろ苦い結果

★グランプリへの道(2)

 1993年、初めてのグランプリ挑戦はほろ苦い結果に終わりました。

 当時は現在のようにモーターに備えつけられたプロペラを使用するのではなく、レーサー個人持ちのペラを使用する制度でしたので、各レーサーはそれぞれエースペラを持参してレースに参加していました。私はエースペラを夏ぐらいのレースで破損してしまい、それから自分のレーススタイルにしっくりくるペラが仕上がらないので、レースも少し不完全燃焼が続いていました。プロペラでの初のスランプだったと思います。

 初めてのグランプリにも新ペラを調整して挑みましたが、実戦実績の乏しいペラに不安はありました。短いトライアル予選でしたが、懸命にプロペラ修正を行いました。今考えるとプロペラの不安からレースに集中できていなかったのかもしれません。結局、モーターにプロペラを合わせ切ることができませんでした。当然レース結果も満足できるものではありませんでした。現状の考えや取り組み方ではグランプリ優勝はもちろん、大先輩に認められるレーサーになることは難しいと考えました。それからはより悔いの残らない準備をするように心掛けました。

 その経験を踏まえて、翌1994年12月の第9回グランプリには、優勝戦にまで出場できました。優勝戦には3枠で出場し、5コースのカドから(ダッシュスタート)のレースでした。でも、対戦した大先輩たちを相手に何もすることができず、何とか追い上げて3着までがいっぱいでした。優勝したのは、翌年私と艇史に残るデッドヒートを繰り広げることになる徳島の中道善博大先輩です。3コースからのまくりでした。そして開催地・ボートレース住之江の地元、大阪の野中和夫大先輩が、絶妙なタイミングで差して2着という結果でした。

 自分には何が足りないのであろうか考えながら住之江を後にしました。当時は大先輩に通用しない自分の情けなさやもう少しモーター調整しておけばよかったなど後悔ばかりが頭に浮かびました。悔しさを顔に出さないように引きつりながらも堪えていたように記憶しています。今考えると勝ちたい思いや冷静さは大先輩たちとは大きな差があったのだろうと思います。もう一度取り組み方を見直し、プロ意識を強く持つように考えました。

 ■植木通彦(うえき・みちひこ) 1968年4月26日福岡県生まれ。福岡県立博多青松高校卒。86年11月デビュー。2007年7月の引退までSG優勝10回を含む74回の優勝、公営競技初の年間獲得賞金2億円を達成したボートレース界のレジェンド。日本モーターボート競走会やまと学校(現ボートレーサー養成所)校長などを経て今年5月、初代ボートレースアンバサダーに就任。QRコードから植木氏ブログへ。

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