zakzak

記事詳細

【艇王・植木通彦 不死鳥伝説】実戦ではまさかの「2コース」となり、助走距離のない位置からのスタートに

★グランプリへの道(3)

 いよいよボートレース界最高のひのき舞台・グランプリで不死鳥が羽ばたく時が来た。まさに3度目の正直の挑戦での栄冠だった。そして、この優勝戦はいまもファンに語り継がれる“史上最高の死闘”となった。

 1995年ボートレース住之江(大阪)で開催された第10回グランプリでは、たくさんの皆さんに支えられて優勝できました。もちろん私を応援していただいたファンの皆さんの力がエネルギーとなったのですから、いまでも感謝しています。

 グランプリ前検日(モーターの抽選などがある)に住之江に乗り込んだときは、この年に開催されたSGでは初日のドリーム戦に組まれるほど成績が定着していたので、一緒に走る有力レーサーの特徴もつかむようになっていました。3日間の予選では、グランプリ終了後にフライング自粛期間でレースに出場できなくなるので、スタートにも神経を使いました。それでも最低でも横一線のスタートを切って、あとは今まで積み上げてきたターン力で一つでも前の着順を目指して走ることだけを考えていました。

 その結果、優勝戦に乗ることができましたが、5号艇という、少し1枠から遠い枠番になりました。ボートレースは1コースが有利といわれています。従って1コースを取りやすい1枠が注目されます。私は枠番が決まってから、優勝戦当日の本番までどう戦うかいろいろと考えました。ただ、最初のチャレンジとは違い、不思議と落ち着いて過ごせていました。他のレーサーを観察することもできていました。

 また、当日のスタート練習では、アウトコースからのスタートタイミングはある程度つかんでいたので、スタートラインに対して少し深めのセンターコースからのスタート練習を重点的にしました。ところが、実戦ではまさかの2コースとなり、助走距離のない位置からのスタートになるとは想定外でした。

 優勝戦発売中には、出場メンバー6人は控室で待機しています。私は第9回優勝戦同様に緊張から吐き気に襲われました。他のメンバーに気づかれないように何度もトイレに行き、気持ちを落ち着かせていました。ところが、この吐き気も不思議とユニホームやヘルメットを装着すると同時に止んでいました。

 ■植木通彦(うえき・みちひこ) 1968年4月26日福岡県生まれ。福岡県立博多青松高校卒。86年11月デビュー。2007年7月の引退までSG優勝10回を含む74回の優勝、公営競技初の年間獲得賞金2億円を達成したボートレース界のレジェンド。日本モーターボート競走会やまと学校(現ボートレーサー養成所)校長などを経て今年5月、初代ボートレースアンバサダーに就任。QRコードから植木氏ブログへ。

関連ニュース

アクセスランキング