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【ぴいぷる】蝶野正洋“黒のカリスマ”から「救命主」に転生! きっかけは盟友・橋本真也とライバル・三沢光晴の死 (1/2ページ)

 ■プロレスデビュー35周年「もうひとつの顔」

 今年プロレスデビュー35周年を迎えた“黒のカリスマ”にはもうひとつの顔がある。この10年、「救急救命」や「地域防災」など、命を守るための活動を啓発する使命に突き進んできた。

 「21歳でデビューした俺にとって、年間150試合こなしていたのは最初の20年ぐらい。45歳を超えたぐらいから、これから何をしていくのか模索していました」

 プロレスのメインストリームを歩んできたが、実は18歳になるまでプロレスに興味はなかった。

 「むしろ、けんかでドロップキックなんて使わないよなって感じで。でもテレビで長州(力)さんと藤波(辰爾)さんの試合に触れて、その熱さが心の中に収まったんですよ。中学、高校と悪い仲間と遊んでて目標もなかった俺がやってみようと思ったんです」

 京王線下ではけんかで名をはせていた悪ガキだった。だが20歳で新日本プロレスに入門した途端、甘くない現実にぶち当たった。

 「同期だけでも何人もいる。で、先輩もたくさんいる。こんなに倒さないと上にいけないのかと思うと、こりゃ無理だなって初日に思ったもん。そこから10年間はついていくので精いっぱい。けがとの戦いでしたよ」

 武藤敬司(56)、橋本真也(故人)と「闘魂三銃士」として頭角を現すと、「G1クライマックス」を5度も制覇し“ミスターG1”と称されるなど新日の看板を務めてきたが、実際は満身創痍(そうい)だった。

 「2回目のG1制覇では毎日首に痛み止めを2本打ってましたよ。優勝した日だって、あまりの痛さに帰宅前に車内で30分ぐらい泣いたもの。でも、かみさん(マルティーナ夫人)には痛みが分からないから、家に帰ったら『遅いじゃないの!』って怒られてね(笑)」

 それでも戦い続けたのは「歓声を送ってくれる人がいるからだよ」。応援してくれるファンのために戦うことが使命だった。それが突如、ヒールへと転身することに。

 「30歳になって折り返し地点に来たなと思ったの。で、このままじゃいけないと。会社は武藤選手や橋本選手とトップを張らせるつもりだったけど、俺はベルトを取りにいくタイプの2人とは違って、一歩下がった感があったの。だから会社を出て、反体制でやっていこうと思ったんだ」

 自分では“野党”的なつもりだったが、ある試合が“黒のカリスマ”へと突き進ませた。

 ■盟友・橋本真也、ライバル・三沢光晴の死をきっかけに使命感

 「金沢で馳浩選手とシングルやったとき、馳選手は地元だから張り切っちゃって場外戦仕掛けてきたのよ。長いすをぶつけてきたから“調子にのんな”って投げ返したら大流血しちゃってさ。翌日のスポーツ紙で『蝶野暴走』って書かれて、“黒のカリスマ”になっちゃった。あれは張り切った馳選手が悪いんだよ」

 「救急救命」に使命を感じるきっかけとなったのが、盟友橋本とライバルで団体トップだった三沢光晴の死だ。

 「若くして2人を失ったことがすごくショックで、命の尊さを強く思うようになったんです。若いころはリングで死んだら本望だなんて思ったけど、それは間違い。やはり事故があってはいけない。そんな中、救急救命の講習を受けるようになって、AED(自動体外式除細動器)もきちんと伝えていかないといけないと思うようになったんです」

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