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「罰が当たったのかも」阪神2年連続最下位でノムさんがぼやいた忘れられない一言

 「場面は1点を追う9回や。ツーアウトでランナー一塁。打順は8番。何か打つ手はないかと考えとるが浮かんでこんのや」。亡くなった野村克也さんが阪神の監督をしていたころ、話しかけられたのを思い出す。

 三顧の礼で猛虎再建を託されたものの、戦力不足で八方ふさがり。苦悩は最後まで絶えなかった。

 当時、大阪・梅田で単身ホテル住まい。朝からメジャーリーグやアマ野球をテレビ観戦し、球場に向かうのが日課だった。「野球は奥深い。高校野球から学ぶこともある」。謙虚に野球と向き合う姿勢が「野村野球」の礎でなかったか。

 南海時代の自宅は甲子園球場から近かった。夫人と長男の3人家族。やがて沙知代さんと知り合い、家を出る。豊中市のマンションで同居生活が始めたのが、南海監督解任の発端になった。

 阪神で2年連続最下位に沈んだころ、ふともらした一言も忘れられない。「俺はこの地(かつての自宅)でええことしてないからな。罰が当たったのかもしれん」。返す言葉が見つからなかった。

 阪神を去る時にいただいた置き土産が、いまも手元にある。「野村の考え」と題したミーティング用の教本だ。ページを開くと野村野球の神髄に触れることができる。日の目をみたのは後任の星野監督以降である。

 「できるものなら俺の野球人生から阪神の3年間は葬りたい」といつか話したこともある。名将が阪神で受けた屈辱と無念さは、晴らせないままこの世を去った。(スポーツライター・西本忠成)

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