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阪神で活躍、キーオさん死去 米球界で訃報相次ぐ

 新型コロナウイルス感染拡大が続く中、米球界では訃報が相次いでいる。

 今月初めには元南海マーティ・キーオを父に持ち、阪神のエースとして活躍したマット・キーオさんが亡くなった。

 1973年プロ入り当時は内野手で、マイナー時代ベストナインに選ばれた。その後、大学時代に投手兼内外野手の“三刀流”だった経験からピッチャーに転向し、77年アスレチックスでデビュー。78年新人でオールスター出場を果たした。

 しかし、チームは昔の光今いずこで、79年にジム・マーシャル監督(元中日)のもと54勝108敗、彼自身も2勝17敗という始末。年間観客動員数は約30万人で、ある試合では観衆たった653人という有り様。ほとんど無観客状態だった。

 そこで80年に“優勝請負人”ビリー・マーチンを監督にした途端、7位から2位へと大躍進。翌81年には地区優勝し、観客動員数も130万人以上にまで上昇。さまざまな奇襲戦法でチームを飛躍させた、世に言う「ビリーボール」だ。

 何よりも驚いたのが、先発投手陣にことごとく完投させるスタイルを押し通したこと。特に、80年は先発5人らで162試合中、何と94完投をマーク。翌年米スポーツイラストレイテッド誌の表紙を飾り、「5大エース」ともてはやされた。

 その中でリック・ラングフォードは33先発中22試合連続を含む28完投。キーオも20完投で自己最多の16勝と復活。一方で5人の中から20勝投手と20敗投手が同時に出るなど、現代の常識では想像できないことが次々に起こった。 (大リーグ評論家)

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