【ODAが見たレジェンドたち】元中日監督・落合博満氏(上) 選手の特徴生かす“オレ流”人材戦略! 他チーム2倍の練習量、伸びしろ見抜く - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【ODAが見たレジェンドたち】元中日監督・落合博満氏(上) 選手の特徴生かす“オレ流”人材戦略! 他チーム2倍の練習量、伸びしろ見抜く

 元巨人、中日捕手の小田幸平氏(43)が17年間のプロ生活で目撃したレジェンドを語る大型コラム。今回から2週連続でスポットを当てるのは、元中日監督の落合博満氏(66)だ。在任8年間はすべてAクラスでリーグ優勝4度、日本一1度。その名将から「1億円を出しても獲れない」と最大級の評価を受け、FA補償で2005年に迎え入れられた小田氏が、当時の衝撃的な出合いを明かす。

 中日から巨人へFA移籍した野口茂樹投手の人的補償として、巨人側から提示された獲得可能リスト。その中に私の名前を見つけた落合監督と森繁和ヘッドコーチ(当時)は、ほぼ即決で指名してくれたそうです。

 その理由は、快足で鳴らした井端弘和、荒木雅博両選手の盗塁を阻止していたからだったといいます。当時中日の攻撃力の大きなウエートを占めていた、スピードを封じる可能性があった私を奪うことで、巨人の戦力を削ぐことが第一にあったのです。

 私にとっては予期せぬ移籍の一報。当時の中日には「何となく暗そう」というイメージを抱いており、「中日を明るくする! それが神様からのお告げだ」と胸に秘めて名古屋へ向かいました。

 移籍会見が行われた05年12月15日は、タイミングに恵まれなかったというべきか、川相昌弘さんの契約更改と同じ日。落合監督はもちろん、球団幹部の方々も同席しないまま会見に臨みました。球場ロッカーのホワイトボードに書かれた、「ようこそ、中日ドラゴンズへ!」という文字だけが、静かに迎えてくれた記憶があります。

 私を指名した後の報道では、「1億円出してもあんないい選手は獲れない」と言ってくれていた落合監督。初対面で「よく来たな」と言うなり、「ウチの練習はきついぞ」と宣告されました。

 その意味は年明け、2月の沖縄・北谷での春季キャンプで嫌というほど思い知らされました。

 朝7時半から練習が始まり、とにかく走る。昼食をはさんで行う打撃などの全体練習は、他チームの倍ほどの2時間に及びます。さらに午後3時からは特守、再び打撃練習などが7時過ぎまで続き、8時に宿舎に戻ったら、あとは食べて寝るだけ。落合政権下で沖縄の夜の街を楽しむ元気があった選手は、まずいなかったと言い切れます。

 後に食事の席で聞いたのですが、監督は当時の私を練習不足と看破しており、「捕手なのに下半身が弱い。だから、そこを鍛えれば良くなる。伸びしろがあると思った」と教えてくれました。

 以前、夕刊フジでお笑いコンビ・ココリコの遠藤章造さんと対談した際にも話題に上りましたが、馬のごとく走らされ続けた私の足は、当時29歳だったにも関わらず、速くなったのです。「人間って29歳でも速くなるんや…」と、自分のことながら驚いたものです。

 谷繁元信さんが正捕手として君臨していた当時の中日でしたが、あとに続く捕手の層の薄さが課題のひとつでした。落合監督が私に見込んでいた役割は、2番手捕手と守備のスペシャリストとしてのスーパーサブ。私の特長である守備を最大限に生かす役回りを与えてもらいましたが、落合監督の奥深さはこうした人材活用だけにとどまりません。

 次回は冷徹なイメージの裏側で見せた、指揮官としての多彩な表情についてお話ししたいと思います。

 ■小田幸平(おだ・こうへい) 1977年3月15日、兵庫県生まれ。市川高から三菱重工神戸をへて、97年ドラフト4位で巨人入り。2005年中日へ移籍。14年引退。プロ17年間ではレギュラーにはなれなかったが、“第2捕手”として評価が高く、お立ち台での決めゼリフ「やりましたーっ!」で人気を博した。愛称はODA(オーディーエー)。

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