【あの名場面の裏側】G戦士編 「長嶋監督の進退」吹っ飛ばす松井秀喜の一打 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【あの名場面の裏側】G戦士編 「長嶋監督の進退」吹っ飛ばす松井秀喜の一打

 プロ野球・巨人が開幕直後に6000勝を達成した。球団創設84年に及ぶ長い歴史の中には忘れられない名シーンがいくつもある。あの長嶋茂雄の天覧ホーマー、王貞治の通算756号の本塁打世界新記録などの一瞬はファンの胸に深く刻まれているだろう。そこで、スポーツ取材歴56年の筆者が記憶に残る巨人選手の「あの一球、あの一打」を選び当時の舞台裏を紹介する。第1回は「松井秀喜の涙-。」

 「監督、松井をなんとかしてください。落ち込んじゃって…」

 武上四郎打撃コーチ(故人)が困り顔で監督室に入ってきたのは1998年(平成10年)9月10日のことだった。当時、巨人の優勝はかなり厳しい状況にあり、長嶋茂雄監督が進退伺を出していたことから解任の噂が広がり、次期監督に元西武監督の森祇晶氏の名がスポーツ紙をにぎわしていた。

 「監督が辞めちゃう。長嶋監督がいない巨人なんて考えられない。それに僕をここまで育ててくれた恩返しをしたい。せめて三冠王をとるまでそばで見守ってほしい」

 春先、左ヒザを傷めて周囲が休養を勧めたときも「監督にとって契約切れの大事なシーズンなのにここで休んだら一生悔いが残る」と、松井は痛みを隠して出場し続けた。

 それが恐れていた方向に着実に進み、松井はいたたまれぬ日々を送っていた。打撃練習でもまったく元気がなく、むちゃ振りを繰り返すばかり。

 見かねて武上コーチが監督に相談に来たのだ。

 「よし、タケちゃん松井を呼んでこい」

 監督は言い、松井が連れてこられた。

 「なあ、松井…」と長嶋監督が静かに語りはじめた。

 「俺のことを心配してくれるのはうれしいが、俺が一番うれしいのは何かわかるか?」

 首をかしげる松井にかまわず続けた。

 「オレはキミのでっかいホームランを見るのがなによりうれしいんだ。妙な心配せずに、スカッとした一発でオレを喜ばせてくれ。そして残り試合、力を合わせて勝とうじゃないか。それにキミは今年こそタイトルをとるチャンス。ホームランと打点の二冠に輝く姿を見せてくれ」

 松井の顔は見る見るうちに晴れやかになった。

 「わかりました。頑張ります」と立ち上がる松井の肩を監督はそっとたたいた。

 その夜のゲーム、松井は別人になった。ベンチで大声を張り上げ、打席に向かうときはチームメートに「一発たたき込んでくる」と笑顔で言った。何があったのかと周囲が驚くほどの明るさなのだ。そして、もつれたゲームの決着もこの男がつけた。

 8回表、広島が2点をいれ、6-6の同点に追いついたその裏だ。2死一、二塁で松井の打席となる。頭の中は真っ白。「とにかく何とかしよう」の思いだけが駆け巡る。

 無心で振り抜いたバットは投手・玉木重雄のフォークボールをとらえ中前にはじき返したのだ。「打った瞬間覚えてない」というほど集中した一打が決勝点となる。一塁に走る松井はまるでサヨナラヒットのようにベンチに向かってガッツポーズをみせた。一塁ベース上でも仁王立ちしてこぶしを揺らした。豪快なホームランではなく、中前へのしぶといヒットにこれほど喜びを表したのは珍しいことだった。ベンチの長嶋監督は武上コーチと目を合わせ「打ちましたよ、松井が…。よく打った」と拍手また拍手。その顔は上気し、赤く染まっていた。

 この98年の長嶋監督進退問題は松井らの気持ちがつたわったか留任で落ち着き、安堵(あんど)した松井はこのシーズン本塁打と打点の二冠王に輝いた。

 (スポーツジャーナリスト 柏英樹)

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