【田所龍一 虎番疾風録 Vol.55】起用法で対立? ブレイザー監督、不可解な退団理由 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【田所龍一 虎番疾風録 Vol.55】起用法で対立? ブレイザー監督、不可解な退団理由

 なぜ突然、ブレイザー監督は辞めるのか-。注目の退団会見は1980年5月15日午後4時、甲子園球場で行われた。会場となった喫茶ルーム「蔦(つた)」には100人を超える報道陣が詰めかけた。筆者も部屋の片隅にいた。厳しい表情の小津正次郎球団社長に続いてどこか寂しげなブレイザー監督が席についた。

 「突然のことですが、ブレイザー監督は今日限りでタイガースのユニホームを脱ぐことになりました。いろんな事情があり、何度か話し合いましたが、こういう結果になりました」

 監督の退団とヒルトン内野手の解雇。そして後任監督に中西太打撃コーチの就任が発表された。小津社長の説明が終わると記者たちから質問が飛んだ。

 --ヒルトンの解雇と関係あるのか

 「ヒルトンを辞めさせることには監督も同意していたが、そのあとの新外国人選手の問題で意見が合わなかった。監督の方からユニホームを脱ぎたいと意思表示があった。先週(5月10、11日)の広島遠征のときです。大阪へ帰って何度も話し合ったが…」

 --解任なのか辞任なのか

 「2人の話し合いでまとまったといえばいいのかな。去りゆく人に対してあれこれ言うのは、私の人間的心情に反するのでね」

 --辞めることについては

 「残念だ。せっかくチームが軌道に乗ってきたのに」

 これが退団会見の一部始終である。結局(1)ルーキー岡田彰布の起用問題で監督と小津社長とが対立(2)ヒルトンに代わる新外国人選手(メッツのボウクレア外野手)に監督が拒否反応を示した-が退団に至った原因とされた。

 〈ホンマやろか…〉虎番1年生の筆者には退団の理由としては、あまりにも希薄過ぎるように思えた。「勝率も5割をキープ。有望新人も入団した。ペナントレースもこれからというのに、どんな辞める理由があるのか。実に不可解だ」とは南海・森本昌孝球団代表の見解である。それが普通の反応だろう。

 発表できない他の理由がきっとあるはず。なのにチームも先輩記者たちも、辞めた監督のことなど、もうどうでもいいかのように、その翌日から「中西阪神」となってスタートした。不可解な世界-に迷い込んだような気がした。 

 ■田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956年生まれ。大阪芸大卒。サンケイスポーツに入社し、虎番として85年の阪神日本一などを取材。産経新聞(大阪)運動部長、京都総局長、中部総局長などを経て運動部編集委員。「虎番疾風録」のほか、阪急ブレーブスの創立からつづる「勇者の物語」も産経新聞(大阪発行版)に執筆中。

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