【ODAが見たレジェンドたち】巨人2軍監督・阿部慎之助 普段と違うリードをまんまと読み切られた「最強の敵」 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【ODAが見たレジェンドたち】巨人2軍監督・阿部慎之助 普段と違うリードをまんまと読み切られた「最強の敵」

 元巨人、中日捕手の小田幸平氏(43)が17年間のプロ生活で目撃した、伝説のプレーヤーたちを語る大型コラム。第9回は巨人史上最強捕手との呼び声も高い、阿部慎之助2軍監督(41)だ。小田氏にとっては合同自主トレで切磋琢磨した盟友であり、移籍後は対戦捕手として絶対に抑えたい強敵でもあった。惜しくも昨季限りでバットを置いた阿部氏の打席でのすごみを、“第二捕手目線”で語りつくす。

 1998年入団の私と2001年入団の慎之助(あえて名前で呼ばせてもらいます)。2つ違いと年齢が近かったうえ、捕手同士とあって互いに知ったる仲です。

 私が対戦したすべての打者のなかでも、最強の敵は慎之助でした。投手をどこにリードしても、とらえられるのです。

 慎之助はプロ4年目の04年から13年に掛けて長い全盛期を迎えます。05年オフに巨人からFAの補償で中日に移籍した私は、おもにベテラン左腕の山本昌さんの先発時にバッテリーを組んで対戦しました。

 普段は直球とカーブを軸に組み立てますが、ある年にシンカー勝負に切り替えたことがあります。山本昌さんのシンカーは代名詞になるほどの切れ味。しかし、普段と違うリードを慎之助に読み切られ、痛打されてしまったのです。

 第2捕手の私が慎之助と対戦する機会は、シーズンのなかでさほど多くはありません。数少ないサンプルで、なぜ普段と違うリードを読み切られたのか。シーズンオフに自主トレ先のグアムで行う恒例の“答え合わせ”でも、思考過程を探る私に慎之助は「あのとき、こんな狙いだったでしょ?」と答えを示すばかり。考えが読み切られたことは分かっても、どうやって読まれたのかの種明かしはありません。

 自主トレは互いの鍛錬の場であるとともに、次のシーズンへのエサまきでもありました。われわれは他球団の選手同士。その場で得た情報は相手を攻略するため、最大限に活用していたのです。

 巨人と他球団との対戦では誰よりも慎之助の活躍を願いながら、直接対決では何としても抑えたい対象でした。このあたりの関係性は分かりにくいかもしれません。しかし、「打ってくれ!」という応援と「抑えてやる!」という対抗心は、ともに心の底からの偽りのない思いでした。

 今年から慎之助は新人2軍監督として奮闘中。「まずは選手だけでなく裏方さんやスタッフにも目を配って、ケガや事故が起きないようにしていくことが第一」と話しています。

 もともと気遣いの人ですから、チーム全体に気を配りながら運営を進めていく監督という仕事は、慎之助にうってつけだと思います。

 いまも手本のために打席に立てば、東京ドームの右翼席上段まで軽々と運ぶパワーは健在です。「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」。山本五十六連合艦隊司令長官が残した名言を、自ら体を動かして誰よりもハイレベルに実行できる指導者も、そう多くはないでしょう。

 歴代屈指の好打者にして名捕手。その指導者人生にも、注目していきたいと考えています。

 ■小田幸平(おだ・こうへい) 1977年3月15日、兵庫県生まれ。市川高から三菱重工神戸をへて、97年ドラフト4位で巨人入り。2005年中日へ移籍。14年引退。プロ17年間ではレギュラーにはなれなかったが、“第2捕手”として評価が高く、お立ち台での決めゼリフ「やりましたーっ!」で人気を博した。愛称はODA(オーディーエー)。

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