【メジャーの旅】いつも大声で「コニチハ!」 “ミラクルメッツ”の立役者、トム・シーバーさんの思い出 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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いつも大声で「コニチハ!」 “ミラクルメッツ”の立役者、トム・シーバーさんの思い出

 大リーグ史上最高の投手の一人が逝った。ニューヨーク・メッツのエースとして活躍し、実働20年で通算311勝、3640奪三振を誇った「トム・テリフィック(恐怖のトム)」こと殿堂入りしているトム・シーバーだ。

 1962年、ナ・リーグの拡張球団としてメッツが誕生。初年度に40勝120敗を喫し、史上最も弱いチームといわれた。しかし、67年、大リーグ1年目のシーバーが16勝し新人王を獲得。将来のエース候補にようやく光明が見えてきた。

 69年に自慢の浮き上がる剛速球、いわゆるライジングファストボールを武器に25勝。チームも前年9位から一気に首位へと躍り出て初の地区優勝。さらに奇跡のワールドシリーズ制覇。世に言う「ミラクルメッツ」の立役者となった。

 にもかかわらず、77年6月15日のトレード期限にレッズへ電撃移籍。その夏、現地でメッツの打撃投手を務めていた小坂敏彦氏(元巨人)に会うと、「一つの時代の終わりを感じた」とポツリ。大都会の人々にとって、最も悲しい一日となった。

 その辛い時期を挟んで、74年メッツ、78年にレッズの一員として日米野球で2度来日。彼のデビュー当時、パンチョさんも取りつかれた日本人好みの投球フォームが人気を呼んだ。また、巨人・王貞治との一騎打ちが人々の関心を集めた。

 現役最後の86年6月、レッドソックスに移籍したとき、私はロッカールームにいた。すると、あのロジャー・クレメンスが「シーバーが来た!」と大はしゃぎ。のちに彼を超える通算成績を収める若きエースも興奮するほどの大投手だった。

 91年、東京で米国野球映画展が開かれ、ナンシー夫人を連れて再来日。そのとき、NHK衛星放送で彼の特集番組が作られ、光栄にも本人と出演。彼がメッツのチームカラーに関する問題を出してきたとき、チームへの愛着と誇りを感じた。

 その後、ニューヨークの球場で会うと、いつも大声で「コニチハ!」と話し掛けてくれたが、昨年3月に認知症のため公の舞台から引退。もう、この世にミラクルメッツのエース、栄光の背番号41の姿はない。 (大リーグ評論家・福島良一)

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