【サクラと星条旗】猛暑、感染再拡大、ほぼ無観客…開催は無責任で強欲だけど、東京五輪は史上最悪ではない (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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猛暑、感染再拡大、ほぼ無観客…開催は無責任で強欲だけど、東京五輪は史上最悪ではない (1/2ページ)

 東京五輪はメディアで十分報道されているように、問題を抱えている。

 猛暑、新型コロナウイルスの感染再拡大。そしてほぼ無観客での開催。五輪開催は無責任であり強欲だ。海外の記者が今大会を1964年の東京五輪のように「史上最高」と説明することはなさそうだ。

 だが、東京五輪の中止は選手に壊滅的な打撃を与えるだろう。電通や他の関係者にも。だから五輪の準備は続けられた。

 都民には今回が史上最悪ではないということを知ることが慰めになる。もっとひどい五輪はいくつもあった。

 96年のアトランタ五輪では、爆弾が爆発し、1人が死亡、けが人は100人以上だった。トルコのカメラマンも爆破事件の余波でパニックになり、心臓病で亡くなった。

 爆破事件の前に、すでに愚かな商業化で非難されたアトランタ五輪は混沌としていた。街を走る選手用のシャトルバスは交通渋滞に巻き込まれ、バス待ちの行列ができ、運転手は迷子になった。柔道の絶対王者は計量に遅れ、出場資格を失った。

 2004年のアテネ大会では、ギリシャ国民1人につき6万ドル(660万円)の超過支出に当たる数十億ドル(1100億円)の借金が残った。ギリシャは財政危機に陥り、新しい施設を維持する余裕がない。五輪公園は今やゴーストタウンのようで、会場は空っぽのまま草が生い茂り、放棄され、腐敗した。

 1980年のモスクワ五輪では、開催6カ月前にソビエト連邦がアフガニスタンを侵略した。ジミー・カーター米大統領はボイコットを発表し、他の64カ国を説得した。飛行機での旅行が一般的になるずっと前にオーストラリアで開催されたメルボルン五輪以来、参加チーム数は最も少なかった。

 東ドイツでは、選手の意思にかかわらずステロイドやアンフェタミン、成長ホルモンを投与する国家ぐるみのドーピング問題が後に明らかになった。

 当時多くの人が疑っていたように、モスクワ五輪で授与されたメダルの大多数はドーピングによるものだった。

 36年のベルリン五輪は、スポーツ史において最も視覚的に壮観で印象的なもののひとつだった。ナチスがオリンピックにもたらした多くの繁栄は、後のオリンピックでは通常となっていった。行進する親衛隊やはためくかぎ十字は、ナチスのプロパガンダだった。

 ヒトラー総統は黒人選手を起用する米国を嘲笑したが、黒人選手たちは世界最高であることを証明した。ジェシー・オーエンスは、陸上の100メートル、200メートル、リレー、走り幅跳びで金メダルを獲得した。

 何よりも最悪だったのは72年のミュンヘン五輪。11人のイスラエル人コーチと選手が、柵を乗り越えて宿舎に侵入してきたテロリストの人質となり殺された。パレスチナ過激派組織“黒い九月”の犯行で、選手は拷問を受けた。犠牲者の一人、重量挙げのヨセフ・ロマーノは応戦した後に撃たれ、他の人の前で去勢された。

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