【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(36)~山口県~ 父が語ってくれた池永正明物語 「大けがで完封だぞ!我慢強いし度胸があって頭もいいと来た。どうだ!」 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(36)~山口県~ 父が語ってくれた池永正明物語 「大けがで完封だぞ!我慢強いし度胸があって頭もいいと来た。どうだ!」 (1/2ページ)

 甲子園に登場する強豪や名門で校名を愛称で初めて覚えたのが“下商(しもしょう)”=下関商業だ。

 1963年のセンバツで2年生の快腕池永正明を擁して頂点に上り詰め、その年の選手権でも準優勝、さらに1964年センバツにも出場した(注目を浴びるが初戦敗退)。しかし当時私は5~6歳、その大活躍の実態を全く知らない。

 この“下商”を目の当たりにし、強い関心を寄せていたのが父(故人)だった。そして野球を始めた頃の私に酒を飲みながら熱を帯びてよく話してくれた。

 それはユニホームから始まった。『ユニホームはなぁ真っ白でこうだ。一文字ってのがいいんだ』。左胸に人さし指で大きくSの文字を示し、新聞の切り抜いた写真も見せてくれた。確かに白地にSが力強く爽やかだ。父はこの“下商”のエース池永のとりこにされていた。『俺(181センチ)より小っちゃい。(池永=175センチ)でも肩幅があって胸板が厚い。顔が四角で愛嬌(あいきょう)がある』

 この辺から徐々に高揚して立ち上がり身ぶり手ぶり。『俺と一緒で右利きだ。そんでこうやって投げる』。左足を上げて動き出し右腕を引き耳の後ろあたりにトップを作る。グラブを左のわきの下に抱え込み胸を張るポーズ。ここでストップモーションになる。『この形がキレイだろ。バッターからちょうど真正面にSが見えるんだ。それからなぁ。このグローブの使い方が絶品だ。お前には分かんないだろうけどな。ふっふっふっ!』

 わがことのように池永を語る。『高校生離れしてるよ。技術がね! なあ、すごいだろ!』。ここで父はいったん座り、私が『へぇーすごいんだね』と目を輝かせて感心すると解説が続く。『球はなぁ。剛速球、速ぇーぞ、制球はグンバツ(抜群)。すぐ追い込む。それとドロップ。分かるか? ドロップだぞ!』

 ここで再びスタンドアップだ。腕を伸ばして人さし指を出しそこから弧を描きながら爪先を示した。『池永のドロップはなぁ、この辺からこうやって曲がるんだ。こうやって! 二階から落ちて来るようなもんだ。すげぇだろ! 誰もまともにゃ打てやしねえ! ざまぁみろ!』と酔いとともに誇張されだんだん乱暴になってくる。

 さらにエピソードになると一段と気持ちが籠る。『池永はなぁ、投げるだけじゃねえ。よく打つ。大黒柱よ。で、ハッスルプレーもする。ありゃ夏の2回戦だ。相手は長野の、うーんほら松、松、松…、そうそう松商学園だ!』。池永の好投もあり5-0とリードして終盤7回裏の下関商業の攻撃、ヒットを打って出塁した池永が相手バッテリーのミスを突いて積極走塁をした。

 その時アクシデントが起きた。『キャッチャーが後逸したらなぁ。池永は二塁へ走った。こりゃまあ当たり前だわなぁ。そのあとだ。相手がもたもたしてたから三塁を狙った。そしたら送球が来た。池永は手から突っ込んだんだ。タッチを避けようとしたらちょっと詰まって(ベースとの距離)な。手ぇついて左肩痛めた。スゲェ痛そうだったー!』

 5点リードの終盤で投手の池永なら三塁は自重しても良かったはずだ。『あれはなぁ、池永が足速かったからだ。中学時代は陸上選手さ。運動神経がグンバツ。だから(三塁へ)行ちゃってけがした。瞬間、終わったと思ったね』と父はまるで今自分がけがを負ったような痛そうな顔をした。左肩脱臼だった。

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