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【ジーコの想い】W杯スペイン大会“黄金カルテット”秘話

ニュースカテゴリ:スポーツのサッカー

【ジーコの想い】W杯スペイン大会“黄金カルテット”秘話

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イタリアの徹底マークでジーコのユニホームは引き裂かれた((C)ZICONAREDE)  大きく引き裂かれた“カナリア”のユニホーム。そのショッキングな写真を見るたびにオールドサッカーファンの方々は懐かしさを覚えるのではないか。

 1982年W杯スペイン大会。当時のブラジル代表はジーコを筆頭に、主将ソクラテス、セレーゾ(現J1鹿島監督)、そしてファルカン(元日本代表監督)で編成された“黄金のカルテット”が軸で、世界に強烈なインパクトを与えた。

 「もし82年のチームがW杯で優勝していたら、世界のサッカーはより芸術的な方向に進んでいたはずだ。魅せるサッカーに流れていっただろう」とジーコは言う。

 優勝したのはイタリアだった。“負けないサッカー”を旗印に、堅い守備から速攻でゴールを狙うカウンタースタイルを徹底、その後のサッカー戦術の主流となった。

 ジーコに当時のことを何度か聞いた。「あえてしゃべることなど何もない。なぜ、お前は82年のことばかり聞きたがるんだ」とそっけない返事しか返ってこなかった。ようやく話をしてくれたのは、一緒に仕事をしてから3年近くたってからだ。

 世界のサッカー少年が憧れた“黄金のカルテット”と呼ばれた4人。ジーコは「実は、スペインに入ってからなんだ、4人が一緒にプレーしたのは。それまで合わせたことはなかった」と明かした。

 これには絶句した。あの自由自在なパスワークやコンビネーションで敵を翻弄したカルテットの動きがぶっつけ本番だったのだという。才能のなせる技。技術を超えた芸術ともいえた。

 この時代のサッカーは、対戦相手の情報を収集してチームで共有するということはあまりなかった。しかしジーコは「勝負に勝つことは仕事でもサッカーでも相手の強みを消すことに尽きる」というこだわりを持っていた。

 W杯の名勝負のひとつとして語り継がれている同大会2次リーグのイタリア戦を前に、ジーコは尊敬する名将テレ・サンターナ監督にこう進言したという。

 「イタリアの決定機は必ず左のコンティが絡む。ここから逆サイドをスルスルと上がってくるロッシに決定的なボールが渡る。だからコンティと同じサイドにいるオレがカバーをする」

 この打倒イタリア案は、なぜか指揮官に受け入れられなかったが、試合はジーコが言った通り、ロッシにコテンパンにやられてしまうこととなった。

 この試合でジーコのユニホームは破かれた。「何度も主審に、これを見ろと抗議したが、知らんぷりだった」という。いかにジーコが激しいファウルを仕掛けられたかがわかる。

 W杯はまさに4年に一度、ボールを使った戦争だと改めて実感する出来事だった。

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「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ

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