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【ジーコの想い】兄・エドゥーの存在なくしてスーパースター誕生はなかった 母の希望はピアニスト

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【ジーコの想い】兄・エドゥーの存在なくしてスーパースター誕生はなかった 母の希望はピアニスト

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1963年はジーコ(左)がサッカーを始めた頃。隣にはいつも兄・エドゥーがいた ((C)ZICONAREDE)  ジーコは6人きょうだいの末っ子。一番上が姉、あとは全員男でいずれもサッカーを生業とした。母親はジーコをピアニストにしたいとの夢があったが、6歳上の兄、エドゥーがサッカーの道に引きずり込んだ。鹿島や日本代表でジーコのスタッフとして入閣していたことで日本でも良く知られた存在だ。

 エドゥーはとにかくサッカーがうまかった。練習のミニゲームで頭数が足りなくなると躊躇なく参加。「シュートというのは筋力より技だ」と、確かな技術を披露していた。いまでこそ、一般的になった「ブレ球」をプレーの中で決めていたのがエドゥーであり、Jリーグで初めて蹴ったのはジーコだった。

 「オレが子供の頃、兄貴(エドゥー)はスター選手だった。最初は兄貴の荷物持ちとして試合に無理やりくっついて行った。一番研究したのは兄貴のボールの蹴り方さ」。世界中の誰もが憧れたジーコのスーパー・テクニックはエドゥー直伝だったのだ。

 ジーコは公私混同を嫌ったが、エドゥーだけは自らの補佐に指名した。「兄貴は若手の隠れた才能を見いだす特殊なフィーリングを持っている。今まで数々の若い才能が引き出され、代表でも活躍した」とジーコは言う。

 エドゥーはイラク代表を指揮し、1986年W杯メキシコ大会で同国を初の本大会出場に導いた。鹿島でもプレーした元ブラジル代表DFジョルジーニョがまだ若い頃に、すでにその才能を見いだしていたことは有名だ。

 ジーコとエドゥーはともに「元来サッカーとはシンプルなスポーツ。それを複雑にしてしまうのは、各自が過去の苦い経験から身に付けてしまっている余計な知恵だ」が持論だった。

 「昔、弟がサッカー界にデビュー仕立ての頃は『エドゥーの弟』と報じられたが、あっという間にオレが『ジーコの兄』に変わった。過去にこだわってはいけないということさ」とエドゥーが誇らしげに言う一方で、ジーコは「兄貴がいなかったら、今のオレはいないよ」と話したのをよく覚えている。確かにそうだ。でなければピアニストになっていたかもしれないのだから。 (元日本代表通訳・鈴木國弘)

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「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ

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