【共産党研究】若者が入党しない革命政党、かつて20万人超の民青もいまや…

共産党大会。青年党員が激減しているようだ

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 私が日本共産党に入党したのは、18歳の時だった。若い時というのは、「ちっぽけな自分の存在意義はどこにあるのか」「この社会に必要なのか」などと、自問自答するものだ。そんな時に「社会主義こそ進歩の方向だ。この進歩の歯車を回す主役は君たちだ」という誘い文句にひかれた。存在意義が見つかったのだ。

 当時の共産党には、若者があふれていた。当時、大阪で活動していたのだが、選挙の時など梅田駅前で他党とビラまき合戦をするのだが、自民党より圧倒的に若者が多いのが共産党の側だった。

 共産党に入党する1年前には、「日本共産党の導きを受け科学的社会主義と党綱領を学ぶ」ことを基本的な任務とする日本民主青年同盟(民青)に加わっていた。民青は1970年には、その勢力が全国で20万人を超えていた。巨大な共産党員の供給源となっていた。

 当時、私は三和銀行(=三菱東京UFJ銀行の前身)で働いていたが、東京の都市銀行だけでも約1000の民青同盟員がいた。多くの大学で数百人から多いところでは1000人もの民青同盟員がいた。

 ところが、その民青がいまやなきに等しい状態になっている。これは共産党への若者の供給源が、枯渇状態になっていることを示している。

 実際、20年も30年も前から、青年党員の確保は共産党にとって最大の課題の1つになってきた。だが、これという妙薬はなく、今日に至っている。

 2010年に志位和夫委員長が行った報告によると、「65歳未満の党員は約6割、65歳以上の党員が約4割」だという。1997年には、65歳以上党員が2割だったそうなので、10年余でも2割も増加したということだ。今日では、少なめに見ても半分以上が65歳以上になっているということだ。「少青高齢化」の病だ。

 そもそも、革命などという過激な運動は、どの国でも若者がその中心になるものである。若者が入党しない革命政党など、あり得ない。

 戦前、非合法の共産党に入党するということは、命を賭けるということと同義だった。それでも若者が入党したのは、「ロシアのような社会主義革命を起こせる」「それは労働者にとって理想の国だ」と信じていたからだ。

 若者は、自己犠牲をいとわないところがある。だが、それには、それだけの夢と大義が必要なのだ。現実の社会主義国の惨憺たる結末を前に、社会主義の夢を語れなくなったいまの共産党に、若者をひきつける力がないのは当然なのである。

 ■筆坂秀世(ふでさか・ひでよ) 1948年、兵庫県生まれ。高校卒業後、三和銀行に入行。18歳で日本共産党に入党。25歳で銀行を退職し、専従活動家となる。議員秘書を経て1995年に参院議員に初当選。共産党のナンバー4の政策委員長を務める。2003年に議員辞職し、05年に離党。評論・言論活動に入る。著書に『日本共産党と中韓』(ワニブックスPLUS新書)、『野党という病い』(イースト新書)など。