【勝負師たちの系譜】里見香奈女流五冠、過酷な修行でトップに 対局前日に夜行バスで出雲から東京へ

2008年の倉敷藤花戦に勝利し、対局を振り返る里見香奈女流二段(当時)

★里見香奈女流五冠(1)

 将棋の世界にも、女性のプロはいる。女流棋士制度ができたのは1974年で、奇しくも私が棋士になった年であった。

 最初は6人からスタートしたが、現在は日本将棋連盟と日本女子プロ協会に分かれ、合計で六十数人(現役のみ)ほどの大きな組織となっている。

 ただし44年の間で、厳密な意味の世代交代は、2回しかない。最初は先日引退した、蛸島(たこじま)彰子女流六段の世代。それを林葉直子元プロ、中井広恵女流六段、少し遅れて出てきた清水市代女流六段の世代が破り、長く女流棋界をリードした。

 彼女たちを破ったのが、里見香奈女流五冠だった。里見は島根県出雲市の出身で、師匠は森けい二(けいじ)九段。

 森は里見が小学校低学年の時、広島のJT杯こども大会で準優勝したのを見て「筋が良いからプロになれるかも」と親に言ったところ、暫くして両親と共に来て、弟子にしてほしいと依頼されたと言う。

 里見は中飛車党で、森の本で強くなったとのこと。棋風が終盤型なのも森にとっては、自分と似たものを感じたのだろう。

 小学5年で女流プロを目指す育成会に入り、翌2004年に女流棋士2級としてプロデビュー。当時は清水と中井が2強で、この2人を抜くのは容易でない時代だった。

 しかし里見は、最初から女流棋士に多くあったイベントなどの仕事を断り、タイトルを取ること一本に賭けた。

 その頃の有名な話として、里見は対局の前日に夜行バスで出雲から大阪や東京の会館に出かけ、また夜行で帰るという生活を続けた。まだ小さいから、当然親も一緒だ。夜行バスで行けば、学校を休むのが一日で済むからである。

 そのような過酷な修業が実り、初めてタイトルを取ったのは、2008年の「倉敷藤花(くらしきとうか)戦」で、16歳。相手は目標としていた、清水だった。

 それからは次々とタイトルを奪取するが、里見の目標は単に女流のトップになることでなく、もっと強くなること。そこで男性のプロと同じ資格(棋士・四段)を得るために、奨励会に入りたいと申し出た。

 ■青野照市(あおの・てるいち) 1953年1月31日、静岡県焼津市生まれ。68年に4級で故廣津久雄九段門下に入る。74年に四段に昇段し、プロ棋士となる。94年に九段。A級通算11期。これまでに勝率第一位賞や連勝賞、升田幸三賞を獲得。将棋の国際普及にも努め、2011年に外務大臣表彰を受けた。13年から17年2月まで、日本将棋連盟専務理事を務めた。