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【勝負師たちの系譜】谷川九段は強靭な精神力の持ち主 「重責」「騒動」経てA級復帰照準へ (1/2ページ)

★谷川浩司(4)

 将棋界には第1人者になったら、いつかは運営面でも将棋界を盛り立てる義務を負う、という不文律がある。

 1976年以降の将棋連盟の会長も、大山康晴15世名人、二上達也九段、中原誠16世名人、米長邦雄永世棋聖と、トップ棋士が続いている。

 2011年の定時総会で、谷川浩司九段は当時A級棋士だったが、理事選挙に立候補し、当選した。49歳の時である。

 この年は将棋連盟が公益社団法人の資格を取得した年。会長は米長で、谷川はいきなり渉外担当の専務理事という、要職を任された。米長の次は、自分が担わねばという使命感があったと思う。

 その頃は毎日・朝日両社共催の、名人戦の2回目の契約交渉や、女流が分裂してできた「日本女子プロ将棋協会」との軋轢など、難題が山積していた。

 そして2年の任期を待たずに米長会長が亡くなり、急遽、谷川が会長に就任したのだった。

 2期目は私が専務理事で入り、力を合わせて契約や、地方自治体へのタイトル戦誘致などに当たった。お陰様で「将棋で町興しを」という自治体が増えてきた。

 またドワンゴ社のイベントを、叡王戦-電王戦に押し上げ、コンピューターとの対決などで、新しい将棋ファンの獲得に繋がったと思う。

 会長在任時は、住居の神戸より東京にいることが多く、対局にも少なからず負担はあったはずだ。この間にA級から陥落したことは、残念だったと思う。

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