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【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】世界初の地震学会を日本に作った英国人 はじめて体験した“恐怖”胸に刻み (2/2ページ)

 その後、もっと大きな地震が起きた。1894(明治27)年の「明治東京地震」だ。この地震はM7・0とずっと大きかった。

 東京や横浜などでは震度6の揺れに襲われ、31人の犠牲者を出した。当時は震度7はまだなかった。つまり最大の震度だった。

 横浜の地震に続いて起きたこの地震は、日本の耐震建築の一里塚になった。西洋から導入した建築とはちがうものが必要とされるようになったのである。

 震源は東京湾の北部だと推定されている。大きな地震の割に犠牲者がこのくらいの数ですんだのは、この地震の震源が直下型地震としてはかなり深いものだったためだと思われている。

 首都圏の地下に東から潜り込んでいる太平洋プレートと首都圏が載っている北米プレートの間に、さらに三つ目として南から潜り込んでいるフィリピン海プレート内で起きた地震ではないかと思われている。

 つまり明治東京地震は複雑なプレートの動きが起こした首都圏直下でしか起きない地震だった。

 震源が浅い安政江戸地震(1855年)のような直下型地震ももちろん首都圏でも起きる。この地震は震源が浅かったので約1万人の犠牲者を出す大被害を生んだ。

 他の地域でも起きる地震に加えて、首都圏の地下には、さまざまな深さの直下型の地震が起きる可能性があるのだ。

 ■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『完全解説 日本の火山噴火』(秀和システム)。