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【勝負師たちの系譜】戦後創設も狭き門だった「九段昇段」 長く続いた3人しかいない時代 (1/2ページ)

 私が将棋の世界を知らない人に九段の名刺を出すと、大抵「段位というのは何段まであるのですか」と聞かれる。「羽生善治竜王も段位は九段です」と言うと、妙に納得されるようである。

 戦前までは、将棋の段位は八段が最高で、その上は名人しかいなかった。しかし戦後、名人位を失った人が元の八段ではということで、大山康晴、升田幸三の両九段が誕生し、九段戦優勝の塚田正夫九段と共に、3人しかいない時代が長く続いた。

 しかし、九段の数は囲碁のほうがかなり多かった。ある時、A級バリバリの八段が囲碁の棋士と同席した時、段位で待遇に差をつけられることがあったため、将棋界ももう少し九段を作ろうということになったと聞く。

 1973年にできた九段の規定は、(1)タイトル獲得(防衛)3回(2)名人5点、他のタイトル3点、タイトル挑戦・棋戦優勝・A級在位1期をそれぞれ1点として、30点-というものだった。これに該当したのが、丸田祐三、二上達也、加藤一二三の3人であった。

 翌年、棋聖位を米長邦雄永世棋聖から奪取した内藤国雄が、初めてタイトル3回で、九段に昇段した。この日に私も、記録係をしながら四段になった。

 その後、それでも30点の制度は厳し過ぎるということで、八段になってから250勝で九段という制度が新設された。

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