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【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】マスコミからの批判が続き…複雑極まる震度判定 (1/2ページ)

 阪神淡路大震災の翌年、1996年4月から震度計による機械観測で判定することになった。「計測震度」という。

 それまでは、気象庁の職員が震度を判定していた。

 だいぶ前のことだが64年、東京・大手町の気象庁が木造の古い建物から、すぐ脇に建った鉄筋の新しいビルに移った。8階建てのビルの2階が地震課だった。

 しかし事件が起きた。新しいビルでは木造のときよりずっと地震の揺れが小さかったのだ。以後9カ月の間に、木造のほうでは震度1が15回もあったのに、ビルではたった1回。震度3も木造で7回なのにビルでは1回だった。

 しかも階によって揺れかたが違った。茨城で地震が起きたときには、5階で会議をしていた地震課の人々は震度3の地震を感じて、びっくりして2階の地震課まで駆けおりてきた。気象庁の職員は職業がら、震度3でも、かなりびっくりする。

 ところが、2階の職員はキョトンとしていたのだった。2階の地震課での震度は0だった。

 気象庁が発表する東京の震度が小さすぎる、とマスコミも騒ぎだした。震度は誰にでもわかる数字のせいか、マスコミのいい餌食になる。マスコミは役所の失敗を記事にするのは大好きなのだ。

 こうして気象庁では、震度を測るための職員を、わざわざビルの最上階に張り付けることになった。大きく感じたほうを気象庁の震度にしよう、というわけだ。

 それでも、都内で地震を感じても気象庁では震度0のことが多く、マスコミの批判は止まなかった。