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【秘録 今明かす「あの時」】エンジンもなくただ落ちるだけの“棺桶” 「これに乗って死ぬのか」 (1/2ページ)

★人間爆弾「桜花」最後の搭乗員(2)

 昭和19年11月、茨城・神之池基地に配属された佐伯正明上飛曹が、初めて敵艦を一撃で仕留める新兵器を目の当たりにしたのは入隊の翌日だった。

 人間爆弾に、まだ「桜花」という正式名称はなく、考案者の大田正一少尉から「○大(マルダイ)」、もしくは「K1(ケーワン)」という暗号名で呼ばれていた。

 銃剣を持つ番兵が警戒する格納庫に、熊本・天草基地から一緒に配属された同僚と向かう。全長約20メートル、全幅約25メートルの一式陸上攻撃機(一式陸攻)の周囲に、数機のピンク色の桜花練習機が置かれていた。魚雷よりも一回り小さい。風防ガラスを開け、操縦席に座る。アップ計、速力計、高度計と並び、ロケット切替装置が目についた。窮屈な操縦席に息苦しさも感じる。

 「これに乗って死ぬのか。ずいぶんと狭苦しい棺桶やな」

 佐伯は同僚に話しかけた。

 雑誌で見た軍艦の後甲板から飛び出していく水上偵察機に憧れ、海軍飛行予科練習生(特別乙種1期)に入隊、操縦技量を買われ教官となった。日本のため、天皇陛下のために厳しい訓練を重ねた熟練の腕を発揮することもなく戦死するむなしさに佐伯は落胆する。

 配属された200人の搭乗員は通常の戦闘機や水上機の操縦はできるが、エンジンもなくただ落ちるだけの航空機の経験はない。

 昭和20年の年が明け、着任した順に投下訓練が始まる。爆弾の代わりに先端に1200キロの砂や水を詰め込んだ桜花に乗り込み、降下しながら機体下部に付けられたそりで飛行場に滑空着陸するという難しい技術を要する。このため訓練中の着陸失敗事故が頻発していた。

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