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【明治維新に学ぶ】西郷隆盛が教える「上に立つ者の覚悟」 私学生らの反乱で挙兵へ (1/2ページ)

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 日本が明治維新を断行すると、隣国の朝鮮は、伝統を捨て西洋化することを軽蔑し、いわば国交断絶状態となった。

 当時の日本にとって「ロシアの南下」は最大の脅威であり、これを食い止めるためには、何としても朝鮮に自立して近代化してもらう必要があった。そのため明治政府は、李氏朝鮮に開国を促すのだが、交渉は進まず、日本国内には武力で開国を迫る「征韓論」が持ち上がった。

 征韓論を唱えたのは、西郷隆盛や板垣退助らで、これに異を唱えて反対したのが、岩倉具視や大久保利通らだった。

 使節団を組んで長期にわたって欧米を見聞してきた岩倉や大久保らは、「欧米諸国と伍(ご)してゆくためには、まず自国の近代化に注力すべきで、外征する余裕はない」と、征韓論を真っ向から否定した。

 もっとも、板垣らの強硬論とは異なり、西郷の主張は、まずは西郷自身が使節となって朝鮮に乗り込んで交渉する“遣韓論”だった。

 新政府内の朝鮮をめぐる意見の対立の溝は埋まらず、西郷はついに官職を退いて下野する。鹿児島に戻った西郷は、彼の後を追って帰郷した士族のため、いわゆる軍官学校たる「私学校」をつくって受け皿とした。全国各地でも、不平士族による反乱が起きていた。

 そんなとき、西郷を警戒する明治政府による西郷暗殺計画が露呈した。これに反発した私学生らが、鹿児島の弾薬庫を襲った。こうして、西郷は挙兵せざるを得ない状況になったのである。

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