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【ケント・ギルバート ニッポンの新常識】凶悪犯に「潔さ」「正直さ」求めるのはナイーブだ 国の指導者も嘘をつく (1/2ページ)

 ことわざに「嘘も方便」というものがある。「方便」とは仏教用語で、「衆生(しゅじょう=この世に生を受けたもの)を真の教えに導くために用いる仮の手段」のことだそうだ。つまり、「嘘も方便」には、「嘘をつくのは本来なら悪だが、自分ではなく他人のための嘘なら許される場合がある」という意味が含まれている。

 子供のころから「嘘つきは泥棒の始まり」としつけられる一方、童話「泣いた赤鬼」の青鬼の嘘には共感する日本人にとって、この「自分のための嘘は悪だが、他人のための嘘は善」が常識なのではないか。

 だが、その考え方は、法律や世界的な常識とは真逆だと認識しておいた方がいい。

 《刑法第169条(偽証罪)=法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、3か月以上10年以下の懲役に処する》

 《刑法第171条(虚偽鑑定等罪)=法律により宣誓した鑑定人、通訳人又は翻訳人が虚偽の鑑定、通訳又は翻訳をしたときは、前2条の例による》

 《議院証言法第六条1項=この法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処する》

 先日も書いたが、嘘をつくことも自由主義国の「表現の自由」の一部である。平たく言えば、誰にも「嘘をつく権利」がある。それを無責任野党や左派メディア、組織的クレーマーや外国工作員はうまく利用している。

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