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【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】地震発生の「時刻」が引き起こす悲劇… 季節や時間で異なる被害の大きさ (1/2ページ)

 いまからちょうど122年前の1896(明治29)年8月31日に「陸羽(りくう)地震」が起きた。直下型地震としては最大級のマグニチュード(M)7・2で、209人の犠牲者を生んだ。

 震源は今の秋田県と岩手県の境だったが、被害は秋田県南部に集中した。秋田の被害は死者205人、住家の全壊5682軒、山崩れ9899カ所と、いずれも被害の9割以上を占めた。

 震源が浅い内陸直下型地震ゆえ、震源の真上での震度は大きかった。秋田県・千屋(せんや)などいくつかの集落では、全戸数の7割以上が全半壊するほどだった。

 明治4年に「廃藩置県」が行われて、それまでの藩が県に再編されたが、その後も実質的には藩体制が続いていた。東北地方はかつて陸奥国・陸中国・陸前国・羽後国・羽前国の5つからなっていた。この地震名は、藩の名前の「陸」と「羽」からきている。

 陸羽地震が起きたのは午後5時6分だった。まだ明るい夏の夕方だったから、多くの男たちは畑仕事をしていて外にいた。一方、多くの女たちは家庭で夕食の準備をしていて、家が潰れて被害に遭ってしまった。

 もし、地震が発生したのが多くの人が家にいる夜だったら犠牲者はもっと多かったに違いない。

 兵庫県北部に起きた北但馬(きたたじま)地震(1925年)でも、女たちの被害が多かった。M6・8の地震だったが、死者は430人にもおよんだ。

 この地震が起きたのは5月23日の午前11時9分。昼食の準備の時間だった。各家庭で火を使っていて、大火が起きてしまった。犠牲者の大半は炊事中に倒壊した家にはさまれたまま火災で焼死した女たちだった。

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