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【「西郷どん」交友録】元庄内藩家老、菅実秀 「南洲翁遺訓」を編纂した異色の友人 (1/2ページ)

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 西郷隆盛という人は、自分の敵・味方を問わず、男女を問わず、ひとたび面会すれば、その対手の心をたちまち、わしづかみにする不思議な力を持った人物だ。

 西郷の友人の中に、一人だけ異色の人がいる。その人の名は、菅実秀(すげ・さねひで)。庄(荘)内藩士で、戊辰戦争時は家老だった。

 菅は、戊辰戦争の敗戦処理にあたって、西郷から思いもよらぬ厚遇を受け、すっかり西郷に心酔した。のちに西郷が大日本帝国憲法発布の特赦で、内乱(西南戦争)の首謀者・逆賊の烙印(らくいん)から解放されるや、「南洲翁遺訓」を編纂(へんさん)、刊行した人物である。

 1877(明治10)年の西南戦争の折には、はるばる東北の地から、「西郷のために死なせてください」と庄内兵がはせ参じた。それも1人や2人ではなかった。鹿児島市内の、武屋敷(公園)には、2人座って相対している銅像がある。向かって右に西郷、その前で菅は両手を膝の上に置いて向き合っている。なかなか味のある銅像である。

 でも、ちょっと考えてほしい。

 庄内藩といえば奥羽越列藩同盟の構成藩で、佐幕の立場。「鳥羽伏見の戦い」の直前には、薩摩藩が江戸市内の庄内藩屯所を襲撃、その報復として、江戸の薩摩藩邸は庄内藩新懲組に襲われた…。そういう「間柄」ではなかったか。

 戦い終われば皆兄弟、という寛い心が西郷になかったとは言わない。でも、この場合だけは西郷に「打算」があったのではないか。他の友人とは違って、付き合う前に、「仲良くしたい」という西郷の「意思」があった、と私は見る。

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