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【ケント・ギルバート ニッポンの新常識】9条あっても竹島奪われ… 拉致問題の解決よりも「平和憲法の神話」を守りたい護憲派の“偽善者”たち (1/2ページ)

 私の嫌いな日本語の1つに「平和主義」がある。もちろん、「平和が嫌い」という意味ではない。日本の学校教育やメディアでは、定義すら曖昧な「平和主義」という言葉が、あたかも絶対的正義のような前提で使われる。私はこの「偽善主義」的な風潮が嫌いなのだ。

 GHQ(連合国軍総司令部)が草案を作成した日本国憲法には、前文と第9条に「平和」という言葉が計5回使われている。だが、私は約40年前の法科大学院生時代から、今日に至るまで「平和」の明確な法的定義を聞いたことがない。

 なぜなら、「平和」という概念は、主観的かつ相対的なので、明確に定義付けることが困難なのだ。

 例えば、学校でもそう習うようだが、「戦後の日本は平和憲法のおかげで平和だ」と信じている日本人は多い。他国との武力紛争さえなければ「日本は平和」と考えるらしい。

 一方、北朝鮮の工作員に自宅近くで家族を拉致され、そのまま何十年も生き別れとなった拉致被害者とご家族であれば、「日本のどこが平和だ!」と叫びたいだろう。

 自称「平和主義者」と、憲法改正に反対する「護憲派」は、ほぼ一致する。安倍晋三政権下での憲法改正に反対する左派野党は、護憲派の代表格である。

 左派野党は、北朝鮮による拉致問題の解決で、なかなか結果を出せない日本政府を批判する。

 だが、日本に「軍事オプション」が存在しないせいで、政府が北朝鮮との交渉を能動的に行えない現実は無視している。護憲派の政治家が拉致問題の解決よりも、「平和憲法の神話」を守りたい偽善者に過ぎないことがよく分かる。

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