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【部下がついてくる!「角栄流」上司の心得】葬祭行事で見せつけた「親分力」 (1/2ページ)

★「親分力」の磨き方(1)

 田中角栄の人との接し方の基本は、まず相手への先入観、敵対意識というものを捨ててかかるということだった。「来る者は拒まず、去る者は追わず」である。ために、各界、各層、政治的対立者もまた、多く田中のもとに“相談”に訪れたのであった。田中自身の言葉がある。

 「私が最も大切にしているのは、何よりも人との接し方だ。戦術や戦略じゃない。相手が私に会って、話をしていて安心感があるとか、助かったと思ってくれたら、それでいいんだ。誠心誠意で接していると、自然と人と人を結びつける、新たなキッカケが生まれるものだ」

 世に言う「親分力」とは、どうやらこうした人との接し方の中で、育まれるものらしい。だから、人が集まったということのようである。

 この田中の「親分力」は、葬祭行事でしばしば発揮された。田中がとりわけ人の死に、心を込めて向かい合ったことはよく知られている。こんな「親分力」を見せつけたことがある。

 昭和56(1981)年2月28日、田中は多忙な日程をやりくりし、突如、ヘリコプターで長野県・伊那谷に舞い降りた。落選中の田中派前衆院議員、中島衛(まもる)の父親の葬儀出席と、中島の落胆と無聊(ぶりょう)をなぐさめるためであった。

 一方、空を飛んだ御大に対し、田中の号令一下、田中派の幹部、二階堂進、竹下登、金丸信、後藤田正晴ら7人衆が中央線茅野駅に結集した。ここから、田中の「親分力」が全開したのである。

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