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【高橋洋一 日本の解き方】失敗続きだった平成の日銀、バブル潰し実体経済も潰す 黒田体制で大転換も道半ば… (1/2ページ)

 平成の時代、金融政策をつかさどる日銀は、バブル崩壊や日銀法改正、リーマン・ショックなどを経て、現在の黒田東彦(はるひこ)総裁体制で大きく政策転換した。

 平成はバブル絶頂期で始まった。1989年(平成元年)1月の日経平均株価は3万円台でスタートし、年末には3万8915円まで上昇、これがピークだった。

 まもなくバブルは崩壊したが、その前後において、日銀はひどかった。それは、もし現在のような「2%のインフレ目標」があったら、という思考実験をしてみれば分かる。当時はインフレ率が高くなっていなかったので、金融引き締めは不要だったはずだ。

 それなのに、「平成の鬼平」とマスコミから持ち上げられた当時の三重野康総裁は、「バブル潰し」と称して、不必要で、しかも実体経済に悪影響を及ぼす金融引き締めを行った。それは、バブルを潰すばかりか、実体経済も潰した。しかも、日銀官僚は間違わないという無謬性(むびゅうせい)神話があるために、この金融引き締めは正しいものとして、その後も引き締め基調が継続した。それが、平成デフレの引き金でもあった。

 90年代半ばから、いわゆるデフレ経済に日本は陥った。見た目の名目金利は低水準だったので、多くの人は金融引き締めを意識しなかったのだが、インフレ率がマイナスになるとは、古今東西を見ても前例がほぼ皆無だった。名目金利は低くても、インフレ率がマイナスなので、実質金利は高く、経済成長は望めない状態だった。

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