記事詳細

【さよなら平成】安倍晋三首相が本音で語る「平成」 政治の反省、自然災害、天皇・皇后両陛下への思い… (1/3ページ)

 安倍晋三首相は、平成最後の日(4月30日)に合わせて、夕刊フジの独占インタビューに応じた。昭和から平成への「御代替わり(みよがわり)」を振り返り、平成の政治改革や小選挙区制導入、自民党政治の反省、民主党政権の悪夢、バブル崩壊後の「失われた20年」といわれる経済低迷、阪神・淡路大震災や東日本大震災といった自然災害の脅威、いつも国民の幸せを祈り続けてこられた天皇・皇后両陛下への思いなど、本音で語った。

 ■「金丸事件」発端に大きな政治改革

 --「平成」への改元時の思い出は

 「当時、父(=安倍晋太郎元外相)が自民党幹事長で、私は秘書をしていた。昭和天皇が御体調を崩され、皇居には連日、御快癒を祈る国民の方々の記帳の長い列ができていた。改めて、陛下の存在の大きさを認識していた」

 --昭和64(1989)年1月7日午前、昭和天皇が崩御され、同日午後、新元号「平成」が発表された(=平成は8日から)。幹事長室に事前連絡はあったのか

 「なかった。小渕恵三官房長官(当時)の記者会見で新元号を知った。ただ、『昭和天皇の崩御』という事実の方が大きかった。私は29(54)年に生まれて、『ずっと昭和が続いていく』ような気がしていた。まさに、これは1つの時代が、激動の時代が終わりを告げるのかと思った」

 --当時の竹下登首相の様子は

 「いつもニコニコしている方だったが、前年9月に昭和天皇が吐血されてから、非常に緊張感を持っていたと思う。昭和天皇の御存命中に、新憲法下では初めてとなる御代替わりに向けて、ある意味、極秘で準備を進めなければならなかった。大変困難なことだっただろう」

 --昭和の終わりから平成の初めにかけて、政界絡みの疑獄事件が続き、「政治改革」が叫ばれた

 「大きな政治改革の流れができたのは『金丸事件』(平成5=1993=年)だと思う。東京地検特捜部の家宅捜索で、金丸信元副総裁の自宅から金の延べ棒が出てきたのには、心底驚いた。私は父が他界して、地元・山口で活動していたが、支援者から厳しいお叱りをいただいた」

 「金丸事件を受けて、当時の自民党最大派閥・竹下派内で、激しいエネルギーのぶつかり合い(=派閥内抗争)が起こった。結果、竹下派分裂、宮沢喜一内閣の不信任案可決、自民党の野党転落へとつながった」

 --小選挙区制導入が浮上した

 「中選挙区制時代、自民党議員の敵は社会党などの野党議員ではなく、同じ選挙区の自民党議員だった。政策論争ではなく、サービス合戦になり、政治腐敗につながった。小選挙区制導入や、連座制導入などで、政治活動にかかる費用は激減した」

 --「政治家が小粒になった」とも言われる

 「それは、『最近の若い者は…』と同じだ(苦笑)。私も最初の選挙は中選挙区制で、中選挙区制論者だった。小泉純一郎元首相と『小選挙区制は日本には合わない』と反対していた。ただ、今から考えると、中選挙区制の方が政治活動や選挙運動は苛酷だった。『中選挙区制に戻すべき』という人は、その激しさを知らない。同時に『政治家が小粒になった』と言われないように、それぞれが努力すべきだ」