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【zak女の雄叫び】《zak女の雄叫び お題は「平成」》人生は本当にわからない (1/2ページ)

 10連休中、国立公文書館(東京都千代田区)で開催していた特別展をふらりと見に行ったら、30年前、小渕恵三官房長官(当時)が掲げた「平成」の本物の額縁が展示されていた。昨年以来、新元号決定や改元に至る政府動向の取材に追われ、過去記事や写真など関連資料で小渕氏が掲げた「平成」は見慣れていたが、実物は初めてだった。

 正直、拍子抜けした。 額縁そのものや「平成」の文字はもっと大きく、力強いと思っていた。「なんだ、こんなものか」-。そう感じながら額縁に見入っていたら、隣にいた高校生の娘が顔をのぞき込んでひやかした。「ママ、もしかして、感動してる?」。感動はしていない。でもなんだろう、この気持ちは-。

 記者は10代で平成の代替わりを迎えたが、その日のことは今もはっきりと覚えている。テレビで連日、昭和天皇の病状が伝えられ、何となく社会が重苦しい雰囲気に包まれていたこと。昭和天皇が崩御した昭和64年1月7日は同級生らとスキー場にいた。「ヘイセイ」という新しい元号を最初に聞いた時、何か新しいことが始まる予感がした。友達と「元号、ヘイセイになるんだって」「ヘイセイ?」「うん、ヘイセイ」。その日を鮮明に覚えているのは、スキーに出かけた友達の中に外国人留学生もいたからだろう。誰も英語で「平成」の意味を説明できず、一緒に「ヘイセイ、ヘイセイ」などと口ずさみながら笑いあった。

 そんな楽しい時期はあっという間に過ぎ、平成の時代に私は社会人になり、母になった。人生を四季に例えれば、夏のようなギラギラとした晴れの日も台風のような経験もし、まさに激動の30年だった。気づけば平成生まれの娘は高校生になり、私は会社で小さな所帯ながらも後輩を指導する立場になった。