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【部下がついてくる!「角栄流」上司の心得】「誠心誠意」の真骨頂は、手紙だけにとどまらず… 橋本龍太郎が流した涙 (1/2ページ)

★究極の人心収攬術(6)

 前回の続きである。橋本龍太郎(のちに首相)にとって、1969年12月の総選挙は3回目だったが、公示後の情勢は芳しいものではなかった。有能な橋本は、国会や自民党政調の仕事にしばられ、なかなか地元(中選挙区時代の岡山2区)に帰れなかったのが、苦戦の原因だった。

 このままでは落選だ。橋本はやむなく、同じ佐藤(栄作)派で、時の幹事長として国民的人気も高かった田中角栄に選挙区入りの応援を願い出た。

 しかし、田中の返事は冷たいものだった。

 「君、分かるだろう。幹事長は全国を相手にしている。とても君のところに行ってはおられんのだ」

 向こうっ気の強い橋本は「それなら結構です」と席を蹴るようにして、党本部の幹事長室を出た。すっかり落ち込んで、新幹線で岡山に帰ったのだった。

 ところが、橋本は選挙区に帰ってまもなく、田中幹事長から地元の票を握る有力者のもとに、墨痕鮮やかな巻紙で、何と6尺(約180センチ)ほどもある、次のような手紙が届いているのを知ったのだった。

 「私の調査では、現時点で橋本龍太郎は当落線上から上がっていない。橋本は国会でキリキリ舞いしていたことで、地元には帰れなかった。党としては、党務で全力投球をした人間を落選させることはできない。私としては、何としても橋本を上げたい。貴殿の会社の事業所が選挙区にあるが、何とか協力をお願いしたい」

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