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【追想 堺屋太一】「巨人、大鵬、卵焼き」生み出した“キャッチの名人” 若手官僚時代に手掛けた大阪万博「石田三成を手本に」 (1/2ページ)

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 堺屋太一さんは、もともと通産省(現・経産省)の官僚だった。1970年に日本で初めて開かれた「万国博覧会(大阪万博)」は、堺屋さんが若手官僚時代に手掛けた大仕事である。

 私はNHK入局2年目で、初任地の高知放送局時代。完成した室戸スカイラインと、大阪万博会場を結んで中継放送をした。私にとって初の全国中継で、東京の両親に仕事を見てもらった最初だった。自分史にとっても、忘れられない大仕事といえる。

 「大阪万博は、石田三成を手本にしたのです」

 これは後日、堺屋さんがしみじみと語られたことだ。

 三成の、決して派手ではないがコツコツと事実を積み重ねていく努力が、関ヶ原当時、(豊臣秀吉亡き後)の五大老のトップだった徳川家康の東軍を向こうに回して、西軍に同等以上の兵力を集めることにつながった。背景には、三成の緻密なネゴシエーション力があった。

 堺屋さんは「あの万博では、三成の顰(ひそみ)に倣い(=まねをして)、『大組織を有効に動かすには、全体の組織を活性化させる小さな組織を、それぞれの分野で精巧につくり、十全に機能させることこそ肝要』と考え、それを断行したまでのこと」と言っていた。

 75年、通産官僚時代に名前を隠して書いた小説『油断!』で文壇デビュー。その後、通産省を辞めて、本格的に作家・評論家の道に進んだ。

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