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【部下がついてくる!「角栄流」上司の心得】「なぜ、若いのに自民党なんだ」 私心を感じさせなかった幹事長時代の野党工作 (1/2ページ)

★究極の人心収攬術(9)

 田中角栄は自民党を背負った人物ではあったが、政治への取り組み方は「革新政治家」と言ってよかった。あらゆる格差・差別の是正を夢見た“人間平等主義”が根底にあった。幹事長時代、自民党から国政に出たいとする若者に、こう言ったことがある。

 「なぜ、若いのに自民党なんだ。自民党だって十全ではない。そこを是正してやろうという気はないのか。国民ありき、その生活ありきだ。そのためなら、与野党の垣根にこだわる必要はない。政治とは、そういうものだ。野党をバカにしてはいかん」

 ために、首相の座に就くまでの、とりわけ幹事長時代は、野党とのパイプづくりに全力を挙げたものだった。時に、野党の選挙資金の乏しい議員の面倒まで見、国会対策的なカネも動かした。

 1971(昭和46)年、時の民社党委員長の西村栄一が急逝、後継をめぐって民社党内のドタバタが予想されたとき、田中は直ちに副委員長だった春日一幸の部屋に駆け付けた。「これから何かと大変だろう」といい、物心両面の協力を申し出たという。“次期委員長有力候補”の春日は、いたく感謝したとのエピソードがある。

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