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【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】確実に来る「次」の大津波 1771年、住民の半数が犠牲になった石垣島 (2/2ページ)

 津波は後をひいた。耕作可能地の多くが塩害の影響をうけ、農作物の生産が低迷して飢饉(ききん)が続いた。また疫病も流行った。

 琉球王朝は被害復興のため、被害が大きかった地域に他の島から入植させる政策を行った。しかし明治時代初頭でさえ人口は地震前の3分の1ほどにしか回復しなかった。

 移住者たちは違う方言を話していた地域から移り住んだから、方言、風習、芸能が21世紀になっても石垣市街の中心部とは違いがある。

 石垣市では毎年、明和の大津波が発生した4月24日に慰霊祭を開催している。今年は約200人が参列して、市内の小中学校の児童・生徒が明和の大津波などを教訓に、防災意識の重要性を訴える作文を朗読した。

 恐ろしいことに、最近の研究では150年から400年の周期で大規模な津波が来襲したことが分かって来た。過去2400年間の調査だ。

 私たちは、その最後のものしか知らないのだ。「次」がいつかは今の学問では分からない。だが、確実に「次」が来る。周期から見ると、いつ襲ってきても不思議ではない時期になっているというべきであろう。

 現在は地震のMと海底の地震断層の動きから津波の高さを予測している。しかし、海底地滑りはその予測を超えるものかもしれないのだ。

 ■島村英紀(しまむら・ひでき) 武蔵野学院大学特任教授。1941年、東京都出身。東大理学部卒、東大大学院修了。北海道大教授、北大地震火山研究観測センター長、国立極地研究所所長などを歴任。著書多数。最新刊に『多発する人造地震-人間が引き起こす地震』(花伝社)。

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