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竹村健一さん死去 発想法や仕事術も型破りの“これだけ”伝説 「権威を振りまわす奴がいると、すごく腹が立つね」 (1/2ページ)

 「だいたいやねぇ」とパイプを片手にテレビやラジオ、執筆で世相を斬りまくった評論家の竹村健一(たけむら・けんいち)さんが8日午後7時38分、多臓器不全のため89歳で死去した。数々の流行語を生んだメディアの寵児は、発想法や仕事術も型破りだった。

 1930年、大阪市生まれ。京都大英文科卒業後、フルブライト留学生として米エール大、シラキュース大大学院で学び、「英文毎日」記者、山陽特殊製鋼調査部長、追手門学院大助教授を歴任した。

 79年から92年までフジテレビ系で放送された「竹村健一の世相を斬る」で司会を務め、関西弁の語り口が人気に。日本テレビ系「世相講談」では小池百合子都知事がアシスタントを務めた。

 「モーレツからビューティフルへ」「デリーシヤス」などの流行語を生み出したほか、情報を手帳1冊に集約する「これだけ手帳」を発売、「僕なんかこれだけですよ」と本人が語るCMも話題になった。産経新聞正論メンバーで、89年に第5回正論大賞を受賞した。

 「ボクはもともと人のやらん事や人と変わった事をやるのが好きやし」

 1980年3月の夕刊フジの記事でこう語った竹村さん。50歳だった当時はテレビ、ラジオのレギュラーが月95本、著書200冊に達するなど多忙を極めるなか、圧巻の仕事術を披露していた。

 「一時間で五十枚。むろん口述スタイルで。書くと?十枚かな…でも、ここ二、三年はもう全くといっていいほど書かへんねぇ。机に向かっている暇なんかありませんわ」

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