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【zak女の雄叫び】《zak女の雄叫び お題は「夏休み」》あの時代を生きた人たちから学ぶ (1/2ページ)

 暑い夏がまた今年も巡ってきた。広島、長崎の原爆投下、ポツダム宣言受諾…。1年の中で毎年この時期がもっとも多く、先の大戦について取り上げられるのではないだろうか。大阪で大日本帝国海軍中尉の加藤●(=日の下に舛)(のぼる)氏(96)に出会った。お年もさることながら加藤氏の言葉に姿勢を正される思いがしたので、お伝えしたい。

 加藤氏は京都市出身。レイテ沖海戦で零式水上偵察機の搭乗員として航空巡洋艦「最上」に乗艦。終戦間際には特攻出撃を待つ身となり、教官として大井海軍航空隊(静岡県牧之原市)に転籍、終戦を迎えた。

 戦争の話は壮絶だ。レイテ沖海戦で「最上」で出撃したとき、一緒に航行していた戦艦「山城」は真っ二つに、「扶桑」は逆立ちになって沈んでしまった。えい光弾で昼真のように明るい中、海に落ちる仲間の姿が見えるが出撃中のため助けることはできない。

 夜が明け、「最上」だけになり、その「最上」も自分がさっきまでいた艦橋に砲弾が命中して、艦長らは即死した。

 特攻出撃では、隣のベッドで同期が童謡「ふるさと」を小さな声で歌っていたのが忘れられない。今も「ふるさと」を歌えないという。

 大阪で開催された「大東亜戦争を語り継ぐ会」で1100人の観客の前で語った内容だ。そして最後に、「出撃する同期から『後を頼む』といわれた。私が戦後生まれの皆さんにお願いしたいのは先祖を大事にし、日本を頼むということです」と締め括った。