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司馬遼太郎が終生畏敬の念を抱いた池田末男少将の人生

 終戦から70有余年。旧日本軍人は連合国から「戦犯」として裁かれた。しかし--そのなかには、敵国からも尊敬の念を抱かれた男たちがいた。立場を超えて「畏怖」の対象となった軍人たちの誇り高き足跡を辿る(記事中の肩書きは最終階級)。

 〈お前はいったい誰に奉公するのか。国家に奉公するのではないのか〉--。

 数多の下級兵いじめが取り沙汰された旧日本軍の中で、池田末男少将の存在は異彩を放っている。当番兵の手を煩わらせることなく風呂に入り、ふんどしも自分自身で洗った珍しい高級幹部だった。

 1945年8月18日--。同月9日に、日ソ中立条約を一方的に破り、国際法違反の宣戦布告を行なったソ連は、満洲および樺太へ侵攻。さらに8月15日のポツダム宣言受諾を無視して、千島列島の東端・占守島の四嶺山を占領しようと攻撃を仕掛けてきた。四つの小高い丘からなる四嶺山のひとつである女体山では第三特殊監視部隊が孤立し、殲滅の危機にあった。

 そうした状況のなか、池田少将は友軍を救うため自ら戦車に乗り込み敵陣に突入。激闘の末、戦死を遂げる。後に国民的作家となる司馬遼太郎は、学徒出陣した際、四平戦車学校で池田少将の教えを受けていた。

 〈君たちは学問で社会に尽くすべき身でありながら、この北辺の地まで来て大変ご苦労である〉という池田少将の訓話と戦いぶりに、司馬は終生、畏敬の念を抱いていたという。

 ※週刊ポスト2019年8月16・23日号

NEWSポストセブン

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