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【続・吉田茂という反省】真珠湾「だまし討ち」を東条英機に責任転嫁 昭和天皇への対応でも分かる吉田茂の傲岸不遜ぶり (1/2ページ)

 吉田茂がいかに傲岸不遜な人物であったかは、彼が外務大臣になったばかりの、昭和天皇への対応でもよく分かる。

 彼が重光葵の後を受けて外務大臣に就いたのは1945(昭和20)年9月17日。最初の大きな仕事は、9月27日に行われる昭和天皇と、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーの第1回会談を、どのように設定するかだった。

 占領軍が日本に進駐してきて真っ先に聞きたかったのは、「日本は経済力の差から敗戦は必至なのに、なぜ無謀にも米国に戦争を仕掛けてきたのか」ということだった。しかも、それを真珠湾の「だまし討ち」で始めて、米国をあのように怒らして悲惨な戦争に自ら持ちこんだのは、なぜかということだった。言われてみれば当然の疑問だ。

 米軍は、日本が本来、真珠湾攻撃の30分前に「最後通告」を出す予定になっていたが、ワシントンの日本大使館の事務失態によって遅れ、結果として無通告の「だまし討ち」となったことを知らなかった(=実は、日本軍も、日米戦争が無通告の『だまし討ち』から始まり、米軍が激怒して日本に襲いかかっていることを知らなかった)。

 マッカーサーとて同じであり、昭和天皇との最初の会談でそのことが話題になるのは必至だった。

 昭和天皇は会談で何と答えたか。真珠湾の「だまし討ち」は、当時の首相である東条英機にだまされたと答えたのである。外務省から上がってきていた「答え」がそうだったからである。

 これだけで驚いてはならない。

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