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【昭和のことば】単なる宣伝文句が流行語に 「あたり前田のクラッカー」(昭和37年)

 「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」。この年、朝日放送制作で放映が開始された『てなもんや三度笠』の冒頭で、藤田まことが発したセリフである。クラッカーは、前田製菓(大阪府堺市)の主力商品である。番組のスポンサーゆえ、このようなCM的演出となった。

 単なる宣伝文句であるはずが流行語となり、年配の方はいまでも、「至極当然」という状況に出くわすと、(たとえ相手が若い人だろうと)「あたり前田の~」とつい口を滑らせている。小気味よく記憶に残る、それほどまでに愛された、流行のことばだったのだと思う。

 この年の主な事件は、「東京が世界初の1000万人都市へ」「テレビ受信契約者数1000万人突破」「東京常磐線三河島駅構内で二重衝突、死者160人、重軽傷325人」「大日本製薬、サリドマイド系睡眠薬の出荷停止(サリドマイド事件)」「堀江謙一、小型ヨットで太平洋を横断、サンフランシスコに到着」「三宅島、22年ぶりの大噴火」など。

 この年の映画は『キューポラのある街』。本は、北杜夫の『楡家の人びと』、司馬遼太郎『竜馬がゆく』。テレビでは、前述の『てなもんや三度笠』に加え、アメリカのドラマ『ベン・ケーシー』がはやった。国鉄スワローズの金田正一が三振奪取3509個の世界新記録樹立。経済成長の半面、薬害や偽札などの問題で社会が揺れた。

 長い歴史のなかでテレビCMは多くの流行語を生み出してきた。当時は映像技術の関係でこのような生CMのスタイルがけっこうあった。まだまだコンテンツの少なかった時代、視聴者も製作者側も視聴者もよろこんでそれを受け入れていた。宣伝を避ける、宣伝を潜り込ませる。そんな「攻防」が始まる前の牧歌的な時代だった。=敬称略(中丸謙一朗)

 〈昭和37(1962)年の流行歌〉 「可愛いベイビー」(中尾ミエ他)、「王将」(村田英雄)、「いつでも夢を」(橋幸夫、吉永小百合)

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