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【高橋洋一 日本の解き方】「表現の不自由展」に補助金交付せず 公費支出は「当然」ではなく国民の納得と了解が必要 (1/2ページ)

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」に関連し、国が愛知県への補助金を交付しないことを決定した。

 愛知県が文化庁に対し、安全面に対する懸念を事前に申告しないなど、交付申請の手続きが不適当だったことが理由だ。これについて、左派マスコミを中心に「検閲に当たる」との批判があり、愛知県の大村秀章知事も、補助金打ち切りについて、「係争処理委員会で理由を聞く」としている。芸術と公金のあり方をどう考えればいいのか。

 まず、検閲とは、発表前に精査し不適当なものを発表禁止にすることを指すが、今回は発表後なので問題にならない。

 愛知県は9月25日、中間報告を出したが、その内容はお粗末なものだった。91ページの報告書の中で、肝心の芸術と公金との関係については、「アートの専門家がアートの観点から決定した内容であれば、政治的な色彩があったとしても、公立美術館で、あるいは公金を使って行うことは認められる(キュレーションの自律性の尊重)。これは、国公立大学の講義で、学問的な観点からである限り、政府の批判をすることに全く問題がないことと同じである」と簡単な言及しかない。

 一般論として、芸術文化は、純粋私的財ではなく、最適な社会的供給のためには公的支援の必要性が正当化される。しかし、社会的な判断をも要求される。表現の自由があるから、公費支出が当然というわけでない。特定の芸術作品を公金による助成の対象にしないというのは、必ずしも表現の自由の侵害にはならない。

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