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【語り継ぎたい天皇の和歌】施政者の愛情こそが民を育んでゆく

 22日にとりおこなわれた今上天皇の「即位式正殿の儀」を拝見しつつ、あらためて室町時代の第103代後土御門(ごつちみかど)天皇と第104代後柏原天皇父子を思い返しておりました。

 後土御門天皇が即位され、わずか数年で応仁の乱が勃発したため、当時、社会は大混乱となりました。後土御門天皇は十余年の長きにわたって将軍である足利邸に逃れざるを得ない日々でした。内裏にお戻りになられてからも財政が逼迫(ひっぱく)していたため、後土御門天皇は崩御後の葬儀費用すらままならず、御遺体は40日以上も安置されていたと語り継がれます。次の天皇となられた後柏原天皇は践祚(せんそ=天皇の位を引き継ぐこと)後、20年以上にわたって即位の儀式が行えない状況でした。

 126代にわたって受け継がれてきた天皇の歴史の中には、このような苦難の時代を体験されたかたもいたのです。それでも、どんなに大変な状況下でも後土御門天皇と後柏原天皇は痘瘡流行時には万民の安穏を祈念し続けていたことが残された御製(和歌)からうかがい知ることができます。

 掲出歌は、「みどりご(赤ちゃん)が母親の乳房を吸って育まれるように、施政者の愛情こそが民を育んでゆくのだ」という歌意です。戦乱の世にあっても贅沢を求めた施政者に贈り諭された一首だったのかもしれません。

 「仰げなほ岩戸をあけしその日より今に絶えせず照らす恵みは」という一首もお詠みになられた後土御門天皇。こちらは、「今も仰げよ。岩戸をお開きになられたあの日から絶えることなく照らす太陽の恵みを」という作品です。神代の昔、天照大御神が「天の岩戸」にお隠れになり、天地が光を失っていた時代のように、戦火の乱れ飛ぶ状況にあっても、太陽のひかりは今日も天地(あめつち)を照らし続けてくれているのだ、と自身を奮い立たせていたのではないでしょうか。歴代から託されたバトンを受け継ぐ「日嗣(ひつぎ)の御子(みこ)」としての天皇陛下。「即位式正殿の儀」は天地にお奉(ささ)げする誓約の儀式でもあります。今上天皇が即位された10月22日の前日は、実は後土御門天皇の命日でもありました。(歌人、作家・田中章義)

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