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【大前研一 大前研一のニュース時評】タイガー・ウッズとナイキの「絆」 社外取締役は皆、スポンサー契約に反対していた (1/2ページ)

 千葉・アコーディア習志野CCで開催されたPGA(米男子)ツアーの新規大会「ZOZOチャンピオンシップ」で、タイガー・ウッズが優勝し、賞金175万5000ドル(約1億9000万円)を獲得した。

 大会創設に尽力したZOZOの前澤友作前社長も優勝トロフィーを渡すとき、うれしそうだった。ちょっと変わったトロフィーだったが。ウッズはこれでPGA優勝回数を82に伸ばし、伝説のゴルファー、故サム・スニードの歴代最多記録に並んだ。

 タイガー・ウッズのプロ・デビューは1996年。そのころ、私は米国のスポーツ関連商品大手「ナイキ」の社外取締役で、創業者のフィル・ナイト会長からウッズと高額なスポンサー契約をするという提案があったことをいまでも鮮明に覚えている。

 当時、ウッズはスタンフォード大学2年。8歳で70台のスコアを出し、10代からずっと追いかけていたという。しかし、このナイト会長の提案に社外取締役は皆、反対した。5年契約で4000万ドル。当時のナイキの年間収益の4分の1で、リスクが高すぎる。「せめて1年契約ではどうか」と勧めた。

 すると、彼は「この男には、マイケル・ジョーダンと会ったときのような興奮を覚える。いま捕まえておかないと、ほかと契約されてしまう」と主張する。「エアジョーダン」シリーズでタイアップしたバスケットの神様、マイケル・ジョーダンのシカゴ大学時代を持ち出されても、社外取締役にはピンとこない。

 ただ、このナイトという人は、「ウクライナに鳥のように飛ぶ人がいる」と聞くと、すぐに会いにいって契約をしてくる。これが棒高跳びの世界記録を生涯35回も更新することになる“鳥人”セルゲイ・ブブカだった。確かに、人を見る目はすごかった。会社がおかしくなるかもしれないという金額だったが、われわれはウッズとの契約を渋々認めた。

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