記事詳細

【平沢勝栄 俺がやらねば】中曽根氏は常に国家を考える「憂国の士」だった 「桜を見る会」引きずる国会…いかがなものか (1/2ページ)

 中曽根康弘元首相が死去した。また1つの時代が終わったといえる。

 中曽根内閣当時の官房長官は後藤田正晴氏だ。同氏は「戦争を知らない政治家が増えたら心配だ」が口癖だった。そして、自衛隊の海外派遣などに極めて慎重だった。

 中曽根氏はその後藤田氏と安全保障などで考え方が違っていた。

 それでも、中曽根氏は後藤田氏を官房長官に起用した。私は中曽根氏に「なぜ、使いにくい後藤田氏を起用したのか」と聞いたことがある。

 中曽根氏の答えは「後藤田さんなら役人を使いこなせるし、大震災などの危機管理ができる。自分に諫言もしてくれる」とのことだった。

 中曽根内閣は難しいとされた国鉄の民営化などをやり遂げた。これも、中曽根氏と後藤田氏の連携プレーの結果だといえよう。

 中曽根氏は「情報を収集し、分析し、そして活用できる独自の情報機関を日本は持つべきだ」というのが持論だった。

 外国情報機関の幹部から、活動状況などを聞いていた。

 私は首相秘書官とともに同席させていただいたことがあるが、中曽根氏は徹底的な質問攻めで、少しでも何かを学ぼうという熱意が、ありありとうかがえた。

 間違いなく、中曽根氏は常に国家を考える憂国の士だった。まだまだ活躍してもらいたかっただけにご逝去は残念でならない。

 先月は、新聞に小さく元自治相の白川勝彦君の訃報もあった。私は白川君と知り合って55年以上になる。大学ではクラスも寮も同じだった。

関連ニュース