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【ジュリア・ミント プーチンの国より愛を込めて】エカテリンブルクの“マフィア墓地” (1/2ページ)

 ドブラヴィーチェル、親愛なる日本の皆様!

 もしあなたが、昔を知るロシア人に90年代のエカテリンブルクのイメージを尋ねたら、今も多くの人が、そこはエリツィンの地かマフィアの地だったと答えるでしょう。

 エカテリンブルク市があるスヴェルドロフスク州はエリツィン元大統領の生まれ故郷で、ソ連時代の彼はこの州の第一党書記を務めていました。市中心部のイセチ川岸には彼の記念館を併設したエリツィンセンタービルがそびえたっています。

 マフィアの地、それは90年代にこの地で犯罪組織の大きな対立抗争があり、その組織の名は今もロシアで知られているからです。

 当時を知るある人は言いました。

 “90年代のエカテリンブルクは殺伐としてたよ”

 ソ連崩壊後の90年代はロシアにとって、最も苦しい時代でした。共産主義の崩壊は国営企業や軍隊などに正規の給料を払えなくなる事態を招き、国は大混乱に陥りました。

 そのようなカオスの時代に台頭してきたのが犯罪組織の男たちでした。中でも最も力があった地元の2大マフィア組織は人口150万の工業都市エカテリンブルクの様々な利権を巡って対立し、街のいたるところで命知らずの男たちの戦いがあったそうです。それは報復の連鎖を呼び、一方の組織の首領が倒されるまで抗争は何年も続きました。当時のマフィアの平均寿命が35歳であった、という記録からも抗争の激しさが伝わります。

 伝説によると、その戦いには機関銃や手りゅう弾まで使われていたと言われ、あまりにも死者が多いので、対立する両組織は街の両側に別々に自分たちの墓地を作りました。

 そして現在、彼らの墓地は海外のメディアに何度も紹介されるほど有名になり、こちらでは怖いもの見たさの観光客に人気の観光スポットとなっています。

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